2674年 6月 17日 探訪
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【其五】からの續きであります。 【現在地】 嗚呼、風が氣持ち良いであります。 をゝ、緑の隧道でありますね。 |
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里が見えて來ました。 併し此處迄距離にして三百米、其で廿米程一氣に下つて來ましたが、之眞直登るつて辛いだらうなあ。 |
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氣持良く坂を下つて來た途端、手荒く急な曲りであります。 高さの違ふカアブミラアが二つ竝んでゐるつて凄いでありますよね。 でも之、拙は事前に地圖で見て心得てゐたから良いのでありますが、ふらりと來て此曲りに出會ましたら、ちやんと減速して曲れるのか、一寸疑問であります。 何かもう、畑の高低差が凄い事に成つてゐるのでありますが、御分り戴けるでせうか。 |
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カアブ一つで高低差二米以上であります。 而もいろは坂の樣なヘヤピンカアブで囘り込んで居りますし。 併し、斯う云ふ處で對向車には出會度く無いでありますね。 |
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不謹愼ではありますが、ジエツトコウスタア氣分であります。 當然、逆に登り度くは無いであります。 |
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うわあ、此方の方が曲率きつい。 擂鉢状とは斯う云ふ事を云ふのでせうか。 |
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此の道幅なのに上下が寫せるのであります。 |
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扨、現在の栃木縣道十號線、烏山街道が見えて來ました。 |
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目前の川は大川でして、此處は可也上流の部類に入ると思ひます。 でありますが、此方の橋も圃場整備等に因り架替られて居りまして、元々は田圃の土手の見える樣に、右手に向ひ斜に架橋されてゐた樣であります。 と云ふ事で、此處で再び元の線形は消失して仕舞ひます。 |
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して、元々は彼の青看の邊と云ひますか住宅の邊と云ひますか、其邊に此處等邊から向つてゐた樣であります。 扨、之で鴻野山(コフノヤマ)を越える烏山街道は全部で四本に成るのでありますが、今囘辿つた道筋が初代だと致しますと、結構な山越えだつた道では無いのでせうか。 人馬の時代でありましたら良かつたのでせうが、流石に自動車が通る事を考る時代に成つて來ますと、多少の遠囘りはしても緩い勾配で濟む舊々道が出來、 交通量の増加と共に、依り走り易い線形にして舊道を造り、現代に合はせて現道へと變遷して來たのも、今囘此處を通りまして何か納得でありました。 斯う云ふ苦勞をした先達の想ひに感謝し乍安全運轉を心掛乍、道路を利用し度い物だと思つた次第であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |