2676年 1月 5日 探訪
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【其九】からの續きであります。 【現在地】 ほぼ完全に別の道と化して居ります。 |
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【現在地】 此方も、成るべく直線的且つ廣く成る樣に。 |
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【現在地】 駐車場所としましては有難いであります。 他に途中似た樣な感じの部分が何箇所が御坐いましたが、微妙な部分でありましたので割愛致しました。 |
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【現在地】 して、元の道筋は此處で左に折て進みます。 て、何處をでせうか。呵呵 |
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此處、であります。 高低差にして十米程でせうか、完全に別の道と成つて居りますね。 |
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此方は縣道指定以前から在る道筋の樣でありまして、昭和廿二年の航空冩眞は勿論、明治時代の地圖でも確認出來る道筋であります。 |
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と云ふ事で、手荒く遠囘りして遣つて來ました。 舖裝の繼目で元々の線形が御分り戴けるでせうか。 さう、完全に現在の道に呑込まれてゐるのであります。 |
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【現在地】 雰圍氣的には縣道と云ふ依りも、昔乍の里道と云ふ感じであります。 |
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斯う云ふ昔乍の道、失はれ度くは無いでありますよね。 |
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此高低差の違ひを縫ふ樣に進むのが素晴しいであります。 |
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谷戸、と云ひますかね、斯う云ふ土地に人の營と歴史を感じます。 と云ひますか、地域住民以外往來の無い場所で飼はれてゐる犬、始終吠えまくつてゐてウルセエの。 少しは人間に慣れやがれ。呵呵 |
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石積が良い雰圍氣であります。 |
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民家と高低差を縫ふ樣に下りて來ました。 |
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未舖裝時代には、斯う云ふ石がごろごろとしてゐたのでせうか。 |
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と、何と此處で野岩鐵道にて寸斷されて居ります。 野岩鐵道は國鐵時代の未成線では有名物件でありまして、絶對に開通する事無く終るのだらうと思つてゐたのでありますが、 何と分割民營化後に第三セクタアと成り開通すると云ふ、何共皮肉な路線でありますね。 と云ふ邊の經緯は何處かで詳く解説されてゐるでせうから、拙は省略致します。 因に、見えてゐる歩道橋が竣功致しましたのは昭和六一年でありました。 |
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【現在地】 跨線橋を渡つた先には、斯樣に舖裝は殘つて居りました。 |
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多分、大部分は拂下られてゐるのでせう。 |
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一旦下りましたが、會津西街道に向ひ少し上ります。 |
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正直、此處迄縣道の名殘が何も殘つてゐ無かつたのが殘念であります。 |
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斯う云ふ、何氣無い路地が縣道の入口でありましたのにね。 |
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【現在地】 扨、國道一二一號、會津西街道に合流致しまして、今囘の栃木縣道六三號線舊道の探索は終了であります。 今囘の區間、其々に舊來からの道を新規に繋げたと云ふだけでは無く、途中の通過點、高原の開拓も擔ふと云ふ大義が有つたのでは無いかと推察致します。 曾ては軍馬の育成を擔つてゐた地も、其需要の減少に因り新に農地として開拓すると云ふ具合に成つたのでせうし、其開始と共に新規に道を通し、 縣道指定とするのが同時期だつたのでは無いのかなと感じた次第であります。 でありますので、可也古的遺構が在つたと云ふ譯では御坐いませんが、其でもダム建設に伴ひ、短命に終つた部分を觀察出來ましたのは有意義でありました。 最近は交通量の増加に伴ひ全線に亙り擴幅し度いのでせうが、全てが終るのは何時に成る事やらと思つて仕舞ます。 因に、現在の縣道入口は此處から百米程北上した處であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |