2674年 10月 20日 探訪
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【現在地】 新四號國道を現道とするならば、宇都宮市内を迂囘するのが舊道、市内を進み大通を通つて行くのが舊々道としますれば、今囘紹介致しますのは舊々々道と云へる部分であり、 元々の日光街道(奧州道中も重複)の部分であります。 歴史的な事は夫々にググつて戴ければ御分りに成りますのでアレでありますが、以前から此處で斜に分岐する道が在る事が拙には疑問でありました。 其が日光街道、其を引繼ぐ國道だつたと云ふのを知りましたのは最近の事でありまして、何と無く疑問が解消したのでありました。 但し何故斜に進んでゐるのかと云ふのは謎の儘なのでありますが、多分、或る一定の距離を城との間に保つ、 且つ街道として餘遠囘りし無い措置の結果なのかなと勝手に想像致して居ります。 以下省略。 まあ面倒事は措いとゐて、とつとと進みませうか。 |
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はい、旭陵通が出來てから騙れ勝ちでありますが、此側道扱ひの部分が元々の道の部分であります。 |
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併し此邊りの字名が不動前と云ふのでありますが、一體何處に不動尊が在るのだらうと思つて居りましたら、此處でありました。 |
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流石歴史街道と十九世紀以前に思ひを馳つつ進みますが、如何やら昭和五五年頃に擴幅されてゐる樣であります。 |
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東武鐡道の架道橋が見えて來ました。 最初は創業當時からの物だらうかと心踊りましたが、何と無く新しい感じが致します。 |
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工事銘板を確認致しました處、昭和五五年三月竣工の橋でありました。 して、成程航空寫眞を色々と確認致しました處、以前はもつと幅員が狹かつた樣であります。 其が道路擴幅と共に歩道部分も兩側に作つたからでせうね、此方の橋も架換に成りましたのは。 |
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まあ、斯樣に歩道部分が橋臺も兼ねてゐれば止む無しと云つた處でせうか。 |
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何かもう街道筋と云ふ依りは住宅街の通と云ふ感じでありますが、流れが變ると云ふ事とは斯う云ふ事なのでせう。 因に、昭和八年の地圖では既に市内へ直進する道筋が主流に描かれて居りますし、昭和十六年の航空寫眞でも其方の方が幅員も廣い道と成つて居りました。 |
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【現在地】 富士見通との交叉點から平成通を望みます。 と云ひますか、此方地圖を見ますと現在は不動前通と云ふのでありますね。 まあ國道だつて縣道や市町村道にも成りますからアレであります、かね。 |
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平成通を過ぎれば愈々元の幅員の道に戻りさうであります。 |
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其つぽい雰圍氣、云はれればさうだと云へますし、普通の住宅街と云へばさうだと云ふ感じ、でありますかね。 因に、平成通以北の此方は蓬莱大黒通と云ふ樣であります。 |
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でも歴史を感じさせる建築物件が在つたり致します。 |
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歴史的物件の反對側には斯う云ふ立派な松が生て居りまして、如何にもな風情は未だ殘つてはゐるのであります。 |
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【現在地】 唯一寸寂れた感は否め無いでありますが、松を植ゑてゐる家が在つたりと、矢張歴史を感じる部分は御坐います。 |
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庭木に松は良いでありますね。 嗚呼、さう云へば拙と同時に一組の御夫婦が矢張此方、日光街道としてか奧州道中としてか歩いて居りました。 とびだし注意の邊から左側、用地が廣く取つて有りますが、間も無く擴幅される豫定なのでせうか。 なのでせうね。 此邊、右手に天滿宮が在りますので、其處に大黒樣が奉られてゐるのでせうか。 |
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間も無く一番の見處、桝形なのでありますが、其が消失するのも時間の問題の樣であります。 まあ、現代では不要な造りでありますから仕方が無い事でありますね。 |
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目前のもみぢ通との交叉點が桝形なのでありますが、嗚呼、之はもう完全に桝形を解消する爲の用地でありますね。 |
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【現在地】 現在でも可也解消されて居りますが、元々は左手、ガアドレイルで塞がれてゐる邊迄向つてゐたと云ふ譯であります。 きつと街道筋らしい立派な桝形だつたのでせう。 と云つても、其つて軍事的な意味合ひつて事、でありますよね、多分。 |
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もうほぼ原型を留めてゐ無い、且つ可也擴幅されてゐる樣であります。 此處から材木町通と云ふ名稱に變る樣であります。 |
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ええと、日光街道新道以西の此處はいてふ通と呼んで良いのかな、との交叉點であります。 此緩い曲りが桝形解消の爲と、もう後年に成つては誰も思は無く成るのでせう、ね。 多分。 |
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江戸時代にはきつと商工業の中心地だつたのでせうか、材木町と云ふ字名が在る通り。 四車線化されてからは今囘初て通りました、拙。 |
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此交叉點で横切る道が桝形に成つてゐるのが可愛らしいであります。 |
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して、裁判所前の大通に到着であります。 現在の日光街道、國道一一九號は左折でありますが、本來の日光街道、奧州道中は其々右折であります。 |
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【現在地】 大通とは云へ、以前は此邊つて狹かつた儘でありました。 其が今では立派な通に成りました。 して、一つ先に見える信號を左折し、現在の清住町通に入るのが元々の日光街道、此儘眞直市内を進むのが奧州道中、元々の國道四號であります。 詳しくは動畫を製作されて居られる方を初め、一杯居られるでせうから拙は省略致しますが、之が江戸時代から今でも續く道筋だつたと云ふ事に感動でありました。 まあ、改て地域を見直して見るのも面白い事でありますね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |