2674年 3月 18日 探訪
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【現在地】 現在の日光北街道、國道四六一號が宮川を渡り東北自動車道を跨ぐ處、昔の航空寫眞を見て居りましたら少々氣に成る處が有り、 多分舊道だらうなと確認の爲現地に赴きました處、斯樣に電柱が右斜方向に向つてゐるでは御坐いませんか。 はい、と云ふ事で舊道確定致しましたので探査と相成つた譯であります。 因に、多分此邊から右に折てゐたのでは無いかと思ひます。 では、いざ參りませうか。 |
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此處は御覽の通り、田圃から宮川迄の道は消失して居ります。 もうとつととネタバレ書いて仕舞ひますが、此方、東北自動車道との兼合で舊道化した譯では無く、昭和廿二年の航空寫眞では既に現在の道筋に成つて居ります。 舊道の儘が確認出來ますのは昭和四年の地圖でありますから、其間に出來たのは間違ひ無いのでありますが、 まさか紀元節(皇紀二六◯◯年(昭和十五年))に因んだ事業だつた、と云ふ事は無い、でありますよね。 多分。 |
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宮川の渡河地點にも痕跡は一切無しであります。 當然、堤防は元々下段側邊程度だけだつたと思はれます。 が、きつと高速道路が出來た頃の關係か如何か、河川改修も行はれたので、今の状態に成つたのでは無いかと推察致します。 併し水門、木製の板と云ふのは中々御目に掛れ無い貴重な物では無いかと思ひます。 では現道の株木橋を渡り進みますが、と云ふ事は、此處は舊株木橋が架つてゐたと云ふ事で宜しいのでせうか。 東北自動車道、何か道の右側に不思議な構造物が在る樣に見受られます。 |
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【現在地】 渡河した右岸側も、痕跡は皆無であります。 |
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高さ制限の内、半分程は掘下られてゐると云ふ事でありますね。 |
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と思へば此方、目の前を横切る道も出來た事で、隨分と嵩上されてゐると云ふ事でせうね。 まあ、何共忙しい道であります。呵呵 |
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因に高速道路の謎の施設、多分に高速を挾んで兩側の田圃が、宮川が氾濫した場合の遊水池的な役割をする爲に斯うして開腹されてゐるのだと思ひます。 斯う云ふの、避溢橋と云ふのでありましたかな。 |
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扨、登り、でありますね。 |
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頑張ます。 |
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登り始て直、左側に斯う云ふ石積を見附たのでありますが、何か、城の石垣の樣な感じに見えるのでありますが。 |
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石垣の上はすつかり自然に還つてゐる樣でありますし、目地は混凝土と埋られて居りますが、若かして江戸時代頃に積れた物なのでせうか、 |
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手荒くきつい坂で、とても自轉車乘つた儘では登れ無いであります。 此角度の變化、御分り戴けるでせうか。 手荒く嚴しいでありますよ。 と云ひますか之、荷馬車とか大丈夫だつたのでせうか。 |
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之位の坂に成れば、不取敢自轉車に乘る事は出來ます。 併し之、此方の御屋敷の石垣も若かしますと手荒く年代物なのでせうか。 |
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して、右に折て一寸先で左に折ると云ふ、所謂桝形を形成してゐるのかなと思ひました。 と云ひますか、一旦若干下つてから復登るのつて結構脚に堪るのでありますが。 因に、此方側が本來の日光北街道の道筋でありまして、一應舊々道と呼んで良いのでせうか。 |
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【現在地】 と云ふ事で一旦舊々道を戻りまして、御次は明治新道を行き度いと思ひます。 併し勾配が違ひ過ぎるつて、實際。 |
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確に未だ勾配は若干緩いのでありますが、其でも寫眞機を眞正面に向ますと、斯う云ふ鹽梅であります。 |
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さうして、結局此交叉點からは結構な勾配に成るのであります。 併し眞正面の御宅の法面、石積の部分が元々の姿なのでせう。 其兩脇は、多分に晩年に成つてからの線形改良や擴幅に因つての變遷なのでせうね。 |
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結局、此方も自轉車で登るには辛い坂であります。 まさかとは思ひますが、此處で桝形扱ひなのでせうか。 |
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カアブミラアが在る左手の處が、先程の舊々道の合流地點であります。 |
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急坂を登れば後は何とか乘車して進めます。 をゝ、素晴しい家竝でありますね。 多分、元々宿場だつたのでは無いのかなと推察致します。 |
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眞直ぐな樣で微妙にさうでも無いと云ふ、舊街道の家竝の法則(と、拙が勝手に定義してゐるだけであります)通りなのか、
其共單に地の利を活したからの曲り方なのか、何方なのでせう。 まあ、何方でも構は無いのでありますがね。呵呵 |
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良い雰圍氣であります。 して、一寸氣附たのでありますが、此處、峠の頂上は未だと云ふ事でありますよね。 |
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如何やら此處が頂上の樣であります。 が、最後の最後で一寸頑張せるのは勘辯して呉れと言ひ度いであります。 併し軒竝み立派であります。 |
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で以て、矢張此方も急坂であります。 と云ふか之、思つた依も早い時期に新道が作られたのも納得であります。 是では黎明期の自動車には可也嚴しい物が有つたでせうから。 |
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之、木炭車で登れたのでせうか。 あ、現道が眼下に見えますね。 |
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成程、矢張宿場だつたのでありますね。 然し此處、今では幸岡(コウオカ)地區の一部でありますが、昔は高内地區として別々だつたと云ふ事、でありますね。 |
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案内板何て無い方が"らしい"感じで好きなのでありますが、分り易いと云ふ點では一概に毛嫌ひするべきでは無いのだなと、少し見直しました。 其は扨措き、何と云ふ手荒い現道との接續のし方なのでせう。 新道考へた奴一體誰だと云ひ度く成る樣な、手荒く無茶な接續のさせ方に思へるのでありますが。 如何見ても勾配の附方異常でせうに。 |
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うん、之はもう完全に別物でありますね。 間違無く、元々は石垣の下の部分の高さ迄で、下の混凝土部分は附足たのだらうと思はれます。 さうして、何と無く側溝の折具合で元の曲線が想像出來るのでありますが、も少し緩い曲りだつたのでは無いでせうか。 と云ふ事で探査終了しましたので戻るのでありますが、勿論もう此勾配は御免被りますので、快適な現道を通つて歸路に着きました。 いやあ、新しい道つて快適でありりますね。呵呵 以上、御附合有難う御坐いました。 |