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小口橋依り小口川を三百米程上流に向ひ、其支流の合流地點に架る橋であります。
まあぱつと見に大凡の年代は御察しと云ふ處でありますので、觀察對象とした次第であります。
では此方、右岸側から見て行きます。
因に奥の左岸側の道でありますが、橋の手前で兩側に廣がつてゐるのは、多分舊道、舊橋、舊河川の關係でだと思はれます。 |
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大平下橋。
親柱全體を傾斜させてゐると云ふ意匠がアレですね、最早戰後では無いと云ふ感じに何と無く思へました。
讀みに關しては後述致します。 |
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備中澤川。
何故に備中!?と思つて仕舞ひましたが、細かい事はまあ良いでせう。 |
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高欄の柱内側の斜め具合は親柱と統一されて居りますが、其以外はまあ、時代を象徴する樣な鐡管の物であります。
混凝土で卷いてゐ無い邊りがも一つの特徴でせうか。
では左岸側へ移ります。 |
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無理!
如何遣つても讀めませんでした。
多分河川名が書いて在るのだとは思ひますが、漢字なのか假名なのかの判斷も附ません。 |
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おおだいらしたはし。
さう、此讀みが驚きでありました。
最初は普通に「オホヒラシモハシ」だらうなと思つてゐたのでありますが、まさかの訓讀みでありました。
日本語つて難解であります。 |
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桁的には單純桁の混凝土橋でありますね。 |
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して、工事銘板が附てゐ無かつたので竣功年度は不明でありますが、多分小口橋と同樣に昭和四五年では無いかと推察致します。
河川改修が行はれると同時に架換へでせうから。
併し、今では此程度の川幅でありましたらボツクスカルバアトに成るであらう處をきちんと架橋で通してゐる邊りが、時代、と云ふ處でありますかね。
だからこそ面白いのでありますが。
以上、御附合有難う御坐いました。 |