2675年 10月 5日 探訪
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此方は
【馬頭町大内 馬坂橋】
依り九百米程東進した處、國道四六一號と栃木縣道二三二號線の大内交叉點傍であります。 盛谷川が大内川に合流する直前で栃木縣道二三二號線が渡河してゐるのでありますが、其傍に不自然な空地が在り、其先を見てみますと橋の跡が御坐いました。 何れ位痕跡が殘つてゐるのでせうか、樂しみであります。 因に、現在居るのは左岸側であります。 |
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少し離れて見ると斯う云ふ具合であります。 木が三本植ゑて在る邊が元の左岸側の橋臺だつたであらう位置でせうか。 因に、現在の橋が架けられたのは昭和四九年であります。 併し此處、可也以前でありますが、暫く白看が殘つてゐた交叉點だつたと記憶してゐたのでありますが、今ではもうすつかり消失して仕舞つて居りますね。 では右岸側へ移動致します。 |
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何と良く見れば草葉の蔭に親柱が殘つて居りました。 |
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上の方から見ますと、結構凝つた造だつた事が伺はれます。 まあ間違無く戰前物件だつた事でせう。 |
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桁が載つてゐた部分はすつかり草に覆れて仕舞つて居ります。 |
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親柱が殘つてゐたのも左側だけで、右側は消失して居りました。 其と、左岸側の橋臺も確認出來ませんでしたので、多分河川改修等で消失してゐるのだと思はれます。 |
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して、親柱を良く見てみる事にしたのでありますが、如何やら銘板が附てゐた樣であります。 と云ふ事は、昭和十年前後以降の橋だつたと云ふ事でありますかね。 まあ、殘念乍御覽の樣に銘板は外されてゐるのでありますが。 |
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斯うして親柱を見ますと、現在の國道側、結構路盤が嵩上されてゐるのでありますね。 さう、當然の如く橋脚の跡等は皆無なのでありますが、斯うして一箇所だけでも當時の痕跡が殘つて居り、 當時を伺ひ知る事が出來るのは中々に面白いなと思はれました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |