2677年 3月 7日 探訪
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此方は
【馬頭町和見 泉田橋】
依り栃木縣道廿七號線を北上する事約三キロ、さうして縣道二二四號線折て直の處、小口川に架る橋であります。 ぱつと見には 【馬頭町大山田下郷 大河内橋】 等に代表される樣な意匠でありますが、實際には何時頃架橋された物件なのか、手荒く樂しみであります。 では此方、右岸側から見て行きます。 |
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砂子橋。 多分之で「イサゴバシ」と讀むのだと思ひます。 此方、陶器で有名な小砂燒「コイサゴヤキ」と云ふ處が御坐いますので、さう云つた處、と云ふか地名由來の橋名かと思はれます。 して、少し調べました處、燒物の歴史も結構古く、天保年間からなのでありますね。 |
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小口川。 日本語の面倒臭ひ處で、此方は「ヲグチガハ」であります。 併し手荒く綺麗な状態の儘殘つてゐる親柱であります。 |
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高欄は混凝土板を二枚使用しました意匠であります。 之は上記の大河内橋の樣な、如何にも昭和四十年前後と云ふ感じであります。 |
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排水桝は斯う云ふ具合で、直接管に流入する型であります。 唯、元々は舖裝が載つてゐ無かつたでせうから、混凝土の路盤に何かしらの意匠が施されてゐたのでは無いかと推察致します。 多分、例へば此方、 【南那須町下川井 江川橋【一】】 の排水桝の樣な感じだつたのでは無いでせうか。 では左岸側へ移動致します。 |
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砂子橋。 銘板が左右兩岸で對稱と云ふ事でありますね。 併し混凝土の造型が素敵であります。 |
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小口川。 大抵左右兩岸で對稱の銘板の橋の場合、親柱内側に工事銘板が在る年代だと思ふのでありますが、此方には無いでありますね。 |
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横から見ますと、拙の大好きな混凝土T字桁橋でありました。 其と、橋臺の造型が藝術的ですらあります。 川牀から親柱邊迄がすらりとしてゐる中、桁を載せる部分だけを別體と云ふ感じに作つてゐると云ふのが素敵だなと思ひます。 して、竣功年なのでありますが、今囘は何處にも分る記述を見附る事が出來ませんでした。 でありますので航空冩眞を參考にしたのでありますが、昭和卅八年以降昭和四四年迄の間に作られた物件の樣であります。 併しまあ、斯う云ふ高度經濟成長期の、如何にも混凝土橋と云ふ感じの物件も段々と少く成つて來てゐるでせうから、此方も其内貴重な存在に成るのでは無いでせうか。 以上、御附合有難う御坐いました。 |