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此方、野元川に架る杭内橋であります。
距離的に云へば、栃木縣道六九號線から下る事約八百米程の位置であります。
まあ、御馴染の逆傾斜親柱の橋でありますから、其だけで大體の年代が想像に難く無いのでありますが、多分さうでせうしさうで無くては困ります。呵呵
併し此姿、一度見たら病附に成つて仕舞と云ひますか、何だか嬉く成つて仕舞姿であります。
では此方、左岸側から見て行きます。 |
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杭の内橋。
いやあ、之が最初讀解不能と云ひますか、木偏に見えず手偏かと思ひ、「抗」だと思つたのであります。
處が芳賀町關係で引掛る檢索結果では「杭」でありまして、何共日本語つて紛しいなあと云ふ銘板の一つだと思ひました。 |
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野元川。
併し何時も不思議なのでありますが、如何云ふ事をすれば斯う云ふ状態に成るのでせうか。
矢張醉拂運轉の自動車が打當つたとかなのでありますかね。
何か、橋が可哀想であります。 |
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併し何共、素晴しい凸具合の親柱でありますなあ。 |
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横からの眺めはまあ、二徑間の普通の鈑橋であります。
其と、橋臺近邊の整備が石積でありますから、昭和四十年代前半迄はほぼ確定でありますね。 |
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高欄は桁毎に分割されてゐる型であります。
其と、下段側の鐵管の位置から致しますと、西暦1970年以前の物では無いでせうか。
まあ其は高欄の柱の上部に附く飾りからしましても、丁寧な仕事を感じますので"さう"だと感じるのでありますが。 |
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排水桝は至つて簡素であります。
では右岸側へ移動致します。 |
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杭の内橋。
矢張左右兩岸で對稱の銘板の樣でありますから、正にさう云ふ年代の物件でありますね。
多分。
扨、此處で疑問なのでありますが、地域名は東水沼でありますから、相當に肥沃な土地だつたと云ふ事だと云ふのは想像に難く無いのであります。
其に、此橋名、水沼と云ふだけに元々濕地帶の樣な場所が散見される土地だつたと假定しまして、其普通の土地との境界の杭の内側だつたから、と云ふ事なのでせうか。
さう云ふ意味なのか如何なのかは分りませんが、細かく云ひますと、此邊の地區名は杭内と云ふ樣でありますので、橋名も納得であります。 |
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野元川。
併し逆傾斜親柱の中でも結構造形に凝つてゐる方でせうか。
上部に飾りの混凝土が盛られて居りますし、其が高欄の柱一つずつにも施されてゐるのでありますから。
併し其にしましても見事な逆傾斜であります。
が、一つ發見でありますが、此處、四本共親柱が無事なのには驚きました。 |
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念の爲桁の横側を覗きましたら、工事銘板が取附られて居りました。
成程、昭和四二年三月竣功でありますか。
矢張豫想通りの年代、と云ひますか、豫想依り二年早かつたのでありますが、此頃からが逆傾斜のハシリなのでありますかね。
併しまあ、同時に分りましたのは、大體此年代頃に野元川は河川改修を受けたと云ふ事でありますね。
以上、御附合有難う御坐いました。 |