 |
此方は今市市の中心部を流れる大谷川(ダイヤガハ)に架る、國道一二一號の橋であります。
平行して昭和六一年にもう一本架橋され、現在では上下線で別に成つている橋でありますが、今囘は舊來から架橋されている此方、多分下線側を見て行かうと思ひます。
ぱつと見に、多分上線側が増設された時に統一した意匠に變更されたのでせう、現代的に成つて居りますので其也に年代物と云ふ感じは御坐いませんが、其實如何でせうか。
と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
 |
大谷橋(ダイヤバシ)。
手荒く立派な黒御影石の親柱、而も之、混凝土の表面に御影石が貼られているのでは無く、一つの石から切出された物の樣でありました。
一體何れ程掛つたのかと野暮な事を考へて仕舞ますが、其だけの物を置く價値が有る橋と云ふ事なのでせう。
勿論、笠石部分は別に成つて居ります。
其と、昭和五十年の航空冩眞で見てみますと、元からの親柱は違ふ意匠だつたと思はれます。 |
 |
元々在つた下流側の親柱は面影も殘つて居りません。 |
 |
横から見ました處、十二徑間のT字桁橋でありました。 |
 |
主桁は七本でありまして、新橋の方は確か八本でありますかな。
因に、一見するとスラブ形式かなと見紛ふ感じでありましたが、同行して下さつた元架橋技師の方曰く、之はT字だと云ふ事でありました。
成程、手荒く勉強に成りました。
と成ると、若かして今迄でもスラブと思つてゐた物でも、實はT字だつたと云ふ橋が有るかも知れません。
併し、新舊で結構桁の厚みが違ふ物であります。 |
 |
主桁同士の間は斯う云ふ具合であります。 |
 |
唯、不思議でありますのは、此方右岸側の短い一徑間だけ埋められ、丸で牀版橋の様に成つている事であります。
耐震補強や點檢の際に耐荷重とかで何か有つたのでせうか。 |
 |
扨、路盤に戻り左岸側へ移動して行きますが、途中數箇所は元からのであらう伸縮裝置が殘つて居りました。
新造側との違ひを御堪能下さいませ。 |
 |
排水桝は桁の兩端の位置で、斯う云ふ具合に歩道の下に成る樣に成つて居りました。 |
 |
うむ、分りません。呵呵 |
 |
左岸下流側の親柱も面影は御坐いません。 |
 |
大谷川。
手前迄迫出している混凝土の土臺部分が、元からの親柱の大きさを表しているのでは無いでせうか。 |
 |
左岸側の桁、上流側に橋歴板が附て居りました。
否、今迄通り工事銘板でも構は無いのでありますが、新に言葉を覺えましたので遣つて見たかつたのであります。呵呵
して、昭和四二年三月竣功でありますね。
で以て、まあ、栃木縣橋梁點檢結果のアレはまあ、如何なのでせうね。 |
 |
左岸側橋臺は隨分と低いであります。
でありますので、新設側は手荒く長い橋臺が作られて居ります。 |
 |
其は實に舊橋側の一徑間分であります。
扨、久々に長大橋を見ましたが、戰後導入された新技術に因る恩恵が感じられる徑間の長さが素晴しかつたであります。
橋脚が減る事で水の抵抗が減りますから、水害に對する對策にも成ると云ふ事でありますね。
良い物見られて、且つ手荒く勉強に成りました。
して、末永く愛でて貰へる橋であると良いなと思ひました。
以上、御附合有難う御坐いました。 |