 |
此方は板穴川に架る、栃木縣道二四五號線の橋であります。
場所的に書きますと、之が實に如何書いて良いか難しく、書いても難解な感じに成りますので、日光市街地の方から適當に二四五號線を北上すれば分る、と云ふ感じでありますかね。
まあ其は扨措き、ぱつと見には高欄だけ見れば昭和四十年代後半以降と云ふ感じでありますが、親柱が如何にも高度經濟成長期と云ふ感じでありますので、
其實何時頃の如何云つた橋なのか、氣に成る處であります。
と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
 |
滑川橋。
橋名は地區名からでは無い樣でありますし、如何考へても河川名からでは無いので、一體如何云ふ譯で斯う云ふ名稱に成つたのか不明であります。
親柱、高欄側が斜に成つて居りますので、若かしますと元からの高欄は斜に成つてゐたのでせうか。 |
 |
内側に橋歴板が附て居りましたので、西暦1960年代物件と思ひましたが、矢張昭和卅八年三月竣功でありました。
併し見事な如何にも明朝體と云ふ字體であります。 |
 |
板穴川。
因に、明治時代の地圖よ見ましても板穴川でありましたし、途中で滑川と名稱が變つた樣な感じでも御坐いませんでした。 |
 |
現在の高欄は柵の樣な意匠の物が取附られて居りますが、元からの高欄が外され、埋られた跡もしつかりと殘つて居ります。
年代的に考へまして、元々の高欄は混凝土管を二本仕樣しました、如何にも昭和卅年代的な物だつたのでは無いかなと思ふのでありますが、一寸分りませんね。 |
 |
排水桝。 |
 |
横から見ました處、鈑橋でありました。
扨、上流側が上手く見える處が御坐いませんでしたので何共云へませんが、曲線外側の主桁だけ其々伸ばされて橋脚に載つてゐるのでせうか。
では右岸側へ移動致します。 |
 |
なめかわはし。
不濁に「はし」でありました。
扨、親柱外側、不自然に空地が少し在るのでありますが、舊橋と舊線形跡であります。 |
 |
橋臺跡でも在るかなと思ひ覗いて見たのでありますが、良く分りませんでした。 |
 |
昭和38年3月竣工。
橋歴板が在るにも不關、銘板でも竣功年が書かれてゐると云ふ親切さでありました。
桁は直線的でも、路盤は曲線を描くと云ふりは荷重計算的にも色々と大變だらうと思ふのでありますが、時代的に考へて、良く綺麗に出來てゐるなと思ひました。
何氣無く通つてゐるだけでは勿體無いでありますが、何氣無く通れるのが素晴しい事でも有りますね。
以上、御附合有難う御坐いました。 |