2678年 7月 31日 探訪
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此方は
【鹿沼市板荷 一ツ橋】
依り一キロ四百米程北上した處、西澤川に架る栃木縣道七十號線の橋であります。 まあぱつと見には極普通の、何處にでも在るガアドレイル高欄の今時の橋でありますが、路盤を見た瞬間に古い橋を其儘生かして擴幅した橋だと分りましたので、 若や元からの部分は結構な年代の物かも知れ無いと思ひ、じつくりと見てみる事にした次第であります。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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第一田尻橋。 橋名の由來は國土地理院の地圖を見ますと、如何やら地區名から來てゐる樣であります。 但し"第二"が何處に在るのかは分りませんでした。 手前側の地覆は混凝土が途切れてゐる事から、親柱に相當する部分かと思ひます。 でありますが、不自然に側溝の蓋の上に乘つてゐるのでありますが大丈夫なのでせうか。 勿論、元からの親柱の痕跡は不明であります。 |
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道路中央部側にも親柱の痕跡は御坐いません。 と云ひますか、畫面左手に伸びる黒い伸縮裝置部分が新舊の牀版の繼目なのでありますが、さう見ますと橋臺部分、 隨分と元の側に迄食込樣にして附足されてゐるのだなと思ひました。 では左岸側へ移動致します。 |
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同上。 |
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西沢川。 此方もさうでありますね、一應桁側と橋臺側で地覆は分離してゐる樣であります。 ガアドレイル高欄は一體でありますがね。 |
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横から見ました處、何共嬉しい拙の大好きな混凝土T字桁でありました。 おや、竣功年度を示す銘板が地覆に附られて居ります。 如何見ても後から此處に移設した感滿載でありますが。 其とも一つ注目したのでありますが、右岸側橋臺を見ますと、親柱が迫出してゐる部分は其儘殘つて居りました。 して、其位置を見ますと、一枚目の冩眞の側溝の外側の混凝土のぶぶがさうだつたのでありますね。 但し側溝が如何成つてゐるのかが不明であります。 |
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昭和四二年三月竣功だつた樣であります。 と成りますと、元々は 【今市市小代-鹿沼市板荷 戸鼻橋】 の樣な造りをしてゐた可能性も有りさうでありますね。 流石に此處迄の親柱では無かつたでせうが。 其と、冩眞では排水桝からの排水管が見えて居りますが、路盤側は完全に埋られて居りました。 |
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因に擴幅側は、ぱつと見で多分PCT桁だと思ひます。 元からの方はRCT桁だと思はれますので、違ふ構造の物を竝べる爲伸縮裝置なのでありますかね、全く知りませんが。 因に、擴幅は昭和五五年以降六一年迄に完成してゐる樣であります。 まあ、今囘も手拔し無いで見て良かつたなと思ふ物件でありました。 戸鼻橋を見に來た時には完全に無視してゐたと云ふのは内緒でありますがね。呵呵 以上、御附合有難う御坐いました。 |