2681年 1月 12日 探訪
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此方は
【石橋町上古山 彌五郎次橋】
依り二キロ程姿川を下つた處に架る、栃木縣道七一號線の橋であります。 其見た目や一連の河川改修等から如何にもな年代かと思はれますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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関沢橋。 如何にも昭和廿、卅年代を彷彿とさせる意匠の親柱に、昭和四十年代を象徴する字體の銘板が附て居ります。 |
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銘板を見ますと、門構が略字に成つて居ります。 尤も、其を云つて仕舞へば「沢」もでありますが。呵呵 |
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姿川。 曲面が良い感じであります。 |
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して、親柱外側に橋歴板が附て居りました。 昭和四十年三月竣功であります。 |
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其又近くの桁には工事銘板と云ふか製造銘板と云ふか、さう云ふ物が附て居りました。 |
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高欄は鐵柵の樣な意匠の物であります。 |
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斯樣な意匠の排水桝は初て見ました。 では右岸側へ移動致します。 |
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関沢橋。 年代的に當然、兩岸で對稱配置の銘板であります。 |
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姿川。 銘板内には昭和卅年代を感じさせる裝飾が施されて居ります。 |
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横から見ました處、三徑間のPCT桁でありました。 |
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此橋脚の大きい梁部と細い型枠跡が素敵であります。 扠、此方の舊橋、と云ふか何と云ふかはも少し上流側でありますし、此方は新設された道の樣でありますので其痕跡は當然皆無でありました。 併し、現在では兩側に歩道部分が後年に成り建造されて居りますが、昭和四十年竣功の橋としましては可也幅員は廣い方では無いでせうか。 今でも十分に路肩部分を歩く事が出來ると思ひますし。 但し交通量が多いので手荒く怖く、とても其な眞似はし度く無いでありますが。呵呵 まあ不取敢、素敵な物件が見られて良かつたであります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |