2680年 2月 17日 探訪
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現在の新橋本橋の横、人道橋として在つた爲に其存在を見忘れて居りました。 斯うして見れば見事な舊線形なのでありますがね。 |
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此方は
【上三川町西蓼沼 下江川橋】
依り六百米弱程江川を下つた處に架る橋であります。 交通量の増加に伴ひ平成十九年に新橋本橋が架設され、今は人道橋としての役割を擔つて居りますが、一連の江川の橋同樣、如何にもな年代物件と思はれますが、 其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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江川。 新に廣い橋が架られて居りますので如何かと思ひましたが、親柱は餘痛んで居りませんね。 |
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橋本東橋。 橋名の由來は地區名からの樣であります。 |
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人道橋化に伴ひ高欄は今時の合金製に交換されて居りますが、其にしましても親柱依りも隨分と高く成つて居ります。 多分元々は後述する 【上三川町上郷 橋本大橋】 と同樣の姿だつたのでは無いでせうか。 銘板の字體も同一でありますし。 併し地覆も相當な高さであります。 |
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排水桝。 舖裝は十サンチ程の厚味で盛られてゐる樣であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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江川。 矢張銘板は左右兩岸で對稱の樣であります。 |
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橋本東橋。 舖裝の盛られ方で隨分と低い親柱に見えて仕舞ます。 |
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横から見ました處、一徑間のI桁鈑橋であります。 結合箇所が二箇所でありますから、下江川橋と同時期頃の物件でせうね。 |
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矢張左岸上流側の桁に橋歴板が在りまして、昭和四三年三月完成と成つて居ります。 勿論、上三川町橋梁長壽命化計畫では昭和四二年架設と成つて居りますので、一連の年度末表記と云ふ事なのでせう。 して、此方も幅員が三米有るからなのでせうか、親柱の痛みが少かつたでありますね。 まあ、新橋が架設された後にも人道橋として殘つて供用されてゐるのは良い事だと思ひます。 と云ひますか、斯うして見ますと幅員三米と云ふのは案外狹いのが良く分りました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |