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此方は東武鐵道日光線下小代驛から七百米程南側、曾て、とは云へ平成廿八年迄行川に架つてゐた栃木縣道一四九號線の赤行橋(アカナメバシ)の跡であります。
今やすつかり撤去作業も終り、殘すは栃木縣道七十號線側の橋臺部分のみと云ふ處でありますが、少しでも其痕跡を觀察出來ればと思ひ探訪した次第であります。
扨、其此方舊赤行橋でありますが、「鹿沼市 赤行橋」で畫像檢索致しますと曾ての姿が見られますのでアレとしまして、昭和八年十二月竣功の橋だつた樣であります。
其歴史的物件も、否、だからこそだと思ふのでありまが、時代の流れには抗ふ事は出來ず斯う成つたと云ふ譯でありますが、其迄にも延命索は取られてゐました樣でありますので、
其方の觀察が主に成ると云ふ感じでありますかね。
と云ふ事で、此方右岸側から左岸側へ行き度いと思ひます。 |
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扨、此方が栃木縣道七十號線との接續部分であります。
意外と戰前物件の地方道としましては幅員が有る方に見えると思ひますが、實は昭和卅年代末頃から四十年代初頭、遲く共四十年代後半迄に此方の接續部分だけ擴幅されてゐた樣であります。
多分其は間違無く右左折をし易くする爲の措置だつたのでせうから、此方側の竣功當時の親柱は失はれてゐる譯であります。
と云ふ事で、現在見えてゐる親柱は擴幅時に新造された物であります。 |
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でありますので銘板は附て居りません。
斜めに擴幅されて居りますので、或る意味獨特な形状に見える親柱であります。 |
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笠石は當時的な物を出來るだけ際限してゐる樣に見受られます。
洗出仕上迄されて居りまして、銘板も附て居りましたら完璧でありましたでせうに。 |
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して、此方が元からの主桁が載つてゐた橋臺であります。
畫像檢索で見ますと、と云ふか見無く共如何にも戰前物件らしい混凝土T時桁だつたと云ふのは良く分ります。
端の金屬部分は支承だつたのでせうか。 |
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此方側の親柱は比較的良い状態だつた樣であります。 |
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斯うして見ますと、擴幅部分はラアメン構造の樣な状態だつたのでありますかね。
素人なので適當に書いて居りますが。呵呵 |
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ほぼ倍近くに交叉點部分は擴幅されてゐた樣であります。
撤去前に見られ無かつたのは殘念でありますが、まあ、仕方が無いでありますね。
不取敢、長年に亙り御疲れ樣でした、と。
因に橋名の由來でありますが、右岸側の地區名からの樣であります。
以上、御附合有難う御坐いました。 |