2681年 3月 23日 探訪
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此方は
【壬生町羽生田-七ツ石 黒川橋ト舊橋跡】
依り栃木縣道三號線、勿論途中から舊道側で一キロ六百米程西進し、國道二九三號と思川の堤防上で合流する直前を左折し、用水に添つて三百米弱程南下した處に架る橋であります。 【氏家町箱森新田 農用道橋】 の二本目同樣今では使はれてゐ無い雰圍氣滿點でありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方右岸側から輕く見て行き度いと思ひます。 |
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斯うして見ますと、左岸側は轉囘し易い樣牀版が斜に附足されて居ります。 |
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正直、現行規格の輕トラでも渡り度く無い幅員であります。 併し、如何やら渡つた先は耕作放棄地に成つて仕舞つてゐるのでせうか、何か手荒く殘念であります。 |
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併しまあ、中々に凄い造であります。 基本的に流れは阻害してゐ無いでせうが、結構な迫出具合の橋臺であります。 而も翼壁、と呼んで良いのかな、は石積でありますが、竪壁は混凝土と云ふ具合であります。 扠、此方の竣功年でありますが、航空冩眞を頼りに致しますと、昭和廿二年から同一に見え無くも無い感じでありますので、若かしますと戰前物件かも知れません。 其共、元は木橋だつた處に戰後、多分昭和卅年代か四十年代初頭頃迄に混凝土牀版に更新し度のかも知れませんが、何れにしましても可也の年代物で間違無いと思はれます。 |
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此方は先程の橋から三百米程用水を下つた所に架る橋であります。 此方は手荒く薄い牀版が印象的であります。 |
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勿論地覆等無く、何か有つても全て不注意な自分が惡いと云ふ男前仕樣であります。 因に、元々道は眞直續いてゐた樣でありますが、平成に成つてから斯樣に更新された樣であります。 左岸側の車輪の痕、見てゐるだけで怖いであります。 |
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扠、竣功年でありますが、上記の橋同樣昭和廿二年と同一に見えますし、多分、此牀版の薄さや硬派仕樣な感じを見ますと、本當の戰前物件の樣に思へ無くも無いであります。 因に、手前の水路橋は昭和四十年代後半に成り附足された樣でありました。 いや、此方、實に良い物が見られましたよ。 以上、御附合有難う御坐いました。 |