2680年 8月 18日 探訪
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此方は
【栗山村土呂部 永草橋】
依り栃木縣道二四九號線を湯西川方面へ進む事約五百米程、土呂部川に架る橋であります。 まあ永草橋同樣、若くは少し後の年代に架橋され度のでは無いかと思はれるのでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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下河原橋。 小振乍も折てゐる意匠に、笠石的な部分も作られてゐる、と見て良い樣な、中々凝つた親柱であります。 橋名の由來は分りませんが、此方が下河原と云ふ事は、上河原も何處かに在るのでせうかね。 |
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親柱内側に橋歴板が附て居りますので、御約束の西暦1960年代物件なのは確定でありましたが、昭和四三年三月竣功の樣であります。 併し昭和四三年とは、親柱に橋歴板が附てゐる中では最晩年の方では無いでせうか。 |
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土呂部川。 斯うして見ますと結構凝つた意匠の親柱であります。 |
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現在では輕合金製の物に更新されて仕舞つた高欄でありますが、元々の姿は某ストリイトビウで確認出來ました。 下の方が斜に成つた 【黒磯市百村 木の俣橋 【一】】 の樣な、何方かと云ふと昭和四十年代と云ふ依りは卅年代と云ふ漢字の意匠だつた樣であります。 |
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排水桝も更新後の物、でせうね。 では左岸側へ移動致します。 |
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下河原橋。 兩岸で對稱に成る銘板配置でありますね。 併し之、冩眞が歪んでゐる樣に見えて仕舞ますが、斜橋の爲に斯樣な具合に成つてゐるのであります。呵呵 |
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土呂部川。 併し本當、何方かと云ふと古風な雰圍氣でありますよね。 |
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橋歴板で分つて居りますが、では横からT字桁を、と思つても之は見辛いでありますね。 |
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でありますので、見易い位置に移動致しました。 うむ、是は實に美しいRCTでありますね。 RCTらしい厚味の有る桁が手荒く素敵であります。 まあ斯う云つては何ですが、斯樣な、半世紀前では僻地と呼ばれてゐたであらう處に斯う云ふ立派で素敵な橋が架つてゐるのには驚きました。 と云ひますか、其だけ地域格差解消の爲に道路整備がされてゐたのかも知れ無いなと推察致しました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |