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此方は川治ダムから栃木縣道廿三號線を川俣方面に進む事約三キロ半、昭和五三年に架設されました野尻大橋から見える嘗て鬼怒川に架つてゐた橋の跡であります。
草生して居りますが、ぱつと見には未だ未だ橋臺は綺麗に原型を留て居り、丸で建造した儘放置された未成物件にも見え無くも無いでありますが、立派に廢橋跡であります。
扨、先づ桁橋の橋臺には見えませんが、一體如何云ふ形式の橋が架つてゐたのでせうか、不取敢此左岸側の橋臺の樣子から見てみ度いと思ひます。 |
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何度かに分て高く建造され度であらう型枠跡の荒さ、出來るだけ橋長と云ふか徑間を抑へ度いからか出來る限り迫出した橋臺等から、
結構古い物件だなと思はれます。
其と、如何見ても支承や伸縮裝置、親柱の跡が見受られません。 |
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翼壁、では無いのかな、橋臺に向ふ道の擁壁は玉石積の樣であります。
其と、川牀には橋脚の痕跡が全く見られません。 |
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扨、此方は右岸側であります。
現在の道路依り二米は確實に低い位置で架橋されてゐた樣であります。
當時物の轉落防止柵が殘つて居ります。 |
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如何にも手作と云ふ感じで素敵であります。
幅員的に大型自動車一臺分と云ふ處でせうか。 |
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正面からの眺めであります。
桁が載る部分等無く、此先は直何も無いので、拙には下を見る事が出來ませんでした。
して、さう、親柱の痕跡も無いので、架つてゐたのは多分に木橋だつたのでせうか。 |
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之は野尻大橋から見た右岸側の橋臺であります。
手荒く凄い處に作つた物だなと感心致します。 |
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此方右岸側は岩の上に直接桁を載せてゐたのでせう。
扨、色々調べて見ても不明な儘でありましたので、せめて航空冩眞で如何だつたのかと思ひ見てみたのでありますが、昭和廿三年の物では、
影の具合から推察致しますと、若かすると吊橋だつた樣であります。
其後、昭和廿七年の冩眞では不鮮明なのでありますが、昭和卅八年の冩眞ではトラスに見えますので、多分昭和卅年代迄には架替られて居り、廢止迄其儘だつたのでせう。
して、御覽の樣に支承や伸縮裝置の跡が見え無い事から、此方に架つてゐたのは木造トラス橋だつたのでは無いでせうか。
でありましたら斯樣な橋臺で納得なのであります。
まあ、何か變だなと思ひつゝも一度は通過して仕舞ましたが、斯うしてじつくりと見て良かつたなと思つた遺構でありました。
但し名稱が分ら無い儘なのが手荒く殘念でありますがね。
まあ多分地名からしますと日向橋と云つたのかも知れません。
以上、御附合有難う御坐いました。 |