2680年 6月 2日 探訪
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嗚呼もう、直其處を右に曲つた處に架つてゐるのに。 |
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草葉の陰から親柱だつて見えて居りますのに、關係者以外立入禁止は手荒く殘念であります。 |
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扨、其儘歸るのもアレでありますので、見える處から見える範圍で書きませう。 此方は、何十年も未成の國鐵野岩線が何故か第三セクタアに成り開通した奇跡の野岩鐵道湯西川驛、道の驛湯西川と共用でせうが、其處から一キロ半程西進した處、 打越澤に架る橋であります。 ぱつと見、うむ、混凝土路盤でありますし一徑間の樣でありますから、多分昭和卅、四十年代頃の橋と思はれますが、其實如何でせうか。 不取敢見える右岸側だけ、でありますね。 |
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打越沢橋。 如何にも昭和卅、四十年代と云ふ親柱に、矢張昭和四八、九年頃のガアドレイル高欄が確認出來ます。 |
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擴大して見ませう。 銘板の字體的には此方、 【上三川町上郷 橋本大橋】 と同じ物を感じますので、昭和四三年頃竣功と見てほゞ間違無いのでは無いでせうか。 |
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横から見ますと、鈑橋なのでありますが、昭和四三年竣功と致しますと珍しく
【那須町蓑澤-梓 梓橋】
の樣に補剛が入つてゐるのでありますが、まあ、さう考へますと昭和四十年頃の竣功かも知れ無いと云ふ感じでせうか。 云ひ出せば、高欄も他では見無い華奢な感じでありますので、若かしますと林道的扱ひの道路だつたのでせうか。 其にしましても地覆が終はつて居りますね。 |
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まあ、此程度でありましたらぱつと入つてぱつと撮つて仕舞へば良いだらうと思つたのでありますが、最近出來た湯西川ダムの直下でありますので、
何處に監視カメラが在るか分りませんし、さうだと致しましたら、良い歳した者が其な事でダムの管理者や警察官と御挨拶と相成つたら手荒く恥づかしいでありますし、
況してや斯うしてネツトに冩眞を出すのも憚れる事態には成り度く無かつたでありますから、之が限界でありました。 否、まあ、以下省略。呵呵 まあ、不取敢斯うして見られたゞけでも滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |