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此方は黒羽町の中心部から二キロ半程國道二九四號を北上した處、新上堂川に架る橋であります。
近くに"くらしの館"と云ふ觀光施設が在り、其處から二五〇米程と書いた方が分り易いかも知れません。
扨、ぱつと見如何にも昭和卅年代の橋と云ふ感じでありますが、其實如何でせうか。
と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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昭和三十八年三月竣功。
はい、矢張さう云ふ年代でありましたね。
質實剛健な親柱に、此年代底蠻的な銘板内側の模樣が安心安定の雰圍氣を感じさせて呉れます。 |
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奥沢橋。
橋名の由來でありますが、國土地理院地圖に解を求めて見ました處、如何やら此邊の地區名からの樣であります。 |
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高欄は混凝土管を二本使用しました、正に昭和卅年代物件の意匠であります。
では左岸側へ移動致します。 |
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上堂川放水路。
おや。如何やら河川名が現在とし違ふ樣でありますが、まあ今迄の經驗から河川名が變更されて井る事等ざらでありますので、今更不思議には不成と云ふのが本音であります。
が、多分架橋の由來には關係するかも知れませんね。 |
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おくさわはし。
定番の全ての銘板で全ての情報が得られると云ふ樣式でありますね。
唯、正直、此年代は斯う成ると云ふ制定だつたのかも知れませんが、普通でありましたら此處に漢字表記が來るのでは無かつたのかなと思ひましたがまあ良いであります。 |
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横から、とは云へ良く見える場所が無かつたのでアレでありますが、斯うして見ますと地覆が手荒く厚い譯では無いので、
定番的に混凝土T字桁橋では無いかと推察致しました。 |
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少し離れた處から見ても分りませんね。
不取敢歩道橋部分の下迄石積の護岸が來てゐると云ふ事が分る程度でせうか。
其と、舊橋の痕跡も皆無でありました。
まあ、此方は横に歩道橋が後年に成つてから追加されて居りますので當面は此儘殘つて行くでせうが、何方かと云ひますと國道二九四號の狹窄區間共成り得さうな處でありますので、
今の内冩眞に收められて良かつたなと云ふ感じの物件でありました。
以上、御附合有難う御坐いました。 |