2678年 4月 2日 探訪
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此方は
【黒羽町北野上 川藏橋】
依り一キロ六百米程尻高田川を上つた處に架る、萬藏山への登山道の橋であります。 實は此方、 【黒羽町木佐美 石橋】 の近くで農作業をされて居られる方に教はつて來たのでありますが、最初は生活道路では無いので御負に如何かなと思つたのでありますが、 如何して如何して、之はしつかりと橋の區分で紹介した方が良い物件だなと思ひまして、此方に掲載する事に致しました。 御教へ下さつた農家の方、有難う御坐います。 して、さう、一見して見事な古物件と云ふ感じでありますが、之は若かして手造りの石橋なのでは無いかなと云ふ雰圍氣でありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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して、先づは手前左側の柱でありますが、「納 皇太子殿下御降誕記念」と彫られて居ります。 之は多分、平成天皇陛下の事、でありますかね。 |
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裏側には「昭和九年旧七月十日」と彫られて居ります。 はて、此時代に「舊」ぢや無くて「旧」とは、如云ふ事でせう。 もう新字體と云ふか、略字として使用されてゐたのでせうか。 其共、戰後暫く經つてから新に彫られたのでせうか。 |
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右側の柱には横側に「奉納 皇太子殿下御降誕記念」と彫られてゐるだけでありました。 |
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扨、では愈々橋本體であります。 之は見事な石造の拱橋なのでは無いでせうか。 小振でありますが立派な存在感であります。 |
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子安橋。 親柱に直に文字が彫つて有るにも關はらず、實に讀み易い彫られ方をして居ります。 多分、何かしらの意味が有つて附られた名前なのでせうね。 |
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萬藏山。 成程、河川名では無く山の名前で來ましたか。 きつと河川名依り山の名前の方が重要だつたと云ふ事でせう。 |
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高欄は混凝土の一枚板であります。 親柱も含め、全て石造と云ふ譯では無いのでありますね。 |
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路盤、と云ふか牀版でありますかね、整然と石が竝べられて居り、中央部は混凝土で目地が埋られて居ります。 では左岸側へ移動致します。 |
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昭和三十八年修理氏子青年。 成程、戰後に修理されてゐるのでありますか。 と成りますと、先程の柱の新字體も其時に彫られたと云ふ事でありますかね。 |
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昭和六年三月十五日。 して、此方か竣功年でありますね。 尚且、此方側が竣功當時の姿と云ふ譯かも知れません。 笠石の意匠も含め、下流側とは違ひが御坐いますから。 |
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横から見ますと、綺麗な石積の拱橋だと云ふのが良く分ります。 右岸側の橋に掛ての道の石積も素敵であります。 |
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之は最早藝術作品かと思ひます。 土木遺産にしても良いと思ふのでありますが、修理されてゐるのでアレなのでせうか。 まあ、或る意味當り前に在るが儘の方が拙の好みでは御坐いますが。 |
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之は全てが手作業で作られたと云ふのは當然の事なのでせうね。 斯う云ふ職人技が之からもずうつと殘つて行つて欲しいなと思ひます。 いやあ、是は本當に良い物を見させて戴きました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |