2679年 11月 4日 探訪
![]() |
此方は
【黒磯市高林 熊川橋】
依り一キロ二百米程板室方面に進んだ處、護安澤に架る栃木縣道卅號線の橋であります。 まあぱつと見何處にでも在るガアドレイル高欄の小さな橋でありますが、御約束の初代ガアドレイル高欄且つ側道で人道橋が在りますので、 さう云ふ年代の物件なのは間違無いでせう。 と云ふ事でずうつと見たいと思つてゐたのでありますが、中々丁度良い機會が無くやつとの取材でありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、右岸側から見て行き度いと思ひます。 |
![]() |
大橋。 まあ定番的な命名でありますが、袖ビイムに合はせた斯樣な銘板が素敵であります。 が、多分此形状の物にしか合は無いので廢れて仕舞つたのでせうかね。 |
![]() |
ごあんざわ。 此方は平假名表記であります。 うむ、まあ良いのかな。 因に、熊川の支流でありまして、上記の熊川橋の七百米程下で合流して居ります。 |
![]() |
高欄は初代ガアドレイルであります。 但し、丸柱でありますから結構晩年、昭和四五年近くに建造された橋でせうか。 |
![]() |
牀版橋であります。 では左岸側へ移動致します。 |
![]() |
おおはし。 成程、下流側の銘板を平假名で統一してゐるのでありますね。 |
![]() |
護安澤。 で以て、上流側は漢字表記で統一、と。 別に取附位置を間違へてゐると云ふ譯では無いのでせう。 因に此河川名でありますが、近隣の百村地區の御寺、光徳寺が護安和尚によつて開基された曹洞宗の寺ださうでありまして、其處から命名されてゐる樣であります。 して、竣功年でありますが、栃木縣の橋梁點檢結果で見ますと昭和卅九年でありました。 と成りますと、丸柱に初代ガアドレイルの組合はせでは手荒く早い時期の物件なのでは無いでせうか。 さう云ふ點では、中々に興味深い物件でありまして、ちやんと見て良かつたなと云ふ感じであります。 併し字名の箭坪でありますが、之で「ヤツボ」と讀むのも中々に難解地名では無いかと思ひます。 以上、御附合有難う御坐いました。 |