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大羽川に架る、栃木縣道二三◯號線舊道の橋であります。
併し此は見るからに結構な年代物を期待出來さうでありますが、如何な物でせうか。
では此方、右岸側から見て行きます。 |
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如何やら琺瑯引の銘板だつたのでせうか、其が見事に剥れて居りまして、「橋」だけが辛うじて讀める程度であります。
併し之、良く見ますと元々はもつと大きい銘板が取附られてゐた樣な跡が見られます。 |
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下流川は消失して居ります。
但し如何云ふ取附方をしてゐたのかは分りました。
嬉しいのか嬉しく無いのかは微妙でありますが。 |
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高欄は昭和卅年代以降の物とは、明に違ふ物だと云ふ事を感じます。
親柱も大きくて頑丈と云ふ感じでありますし。
では左岸側へ移ります。 |
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大場橋。
と云ふ處でせうか。
うむ、元々の銘板は手荒く立派だつた事が伺はれますね。
併し混凝土の表面處理が全體にザラ附た質感でありますので、之は戰前物件に良く見られる洗出仕上だらうと思はれます。
と云ふ事は、相當古い、若かして戰前物件と云ふ事でせうか。 |
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大羽川。
成程、多分若かしますと左右兩岸で對稱の銘板が附てゐたのかも知れません。 |
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では桁、つて、鐡橋でありますと!?
而も之、初て見る樣な鐡桁なのでありますが。
之こそ正にH鋼では無くIビイムと云ふ感じであります。
して、戰前にも道路橋で鐡桁橋つて在つたのか氣に成つて簡單に調べて見たのでありますが、結構在つたのでありますね。
其で一つの疑問だつたのでありますが、琺瑯引の銘板つて何時頃主流だつたのかと云ふ事でありますが、今年の豪雨で流失した栃木市の橋、
散々寫眞が出囘つた御蔭で分つたのでありますが、琺瑯引の銘板でありまして、其が昭和九年竣功だつた樣であります。 |
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と云ふ事は、多分此方も昭和一桁生の橋だらうとは思ふのでありますが、若かしますとも少し前の物件なのかも知れません。
と云ふのも、大きな銘板を外した跡が在る事から、きつと物資供出で銘板が外された後に、代用品として放浪引の銘板が使はれた、と云ふ事かも知れませんから。
と云ふ事は此鐡橋、一體何時頃架橋された物なのでせうか。
流石に大正期迄は遡ら無いとは思ふのでありますが、昭和一桁代とは見て間違ひ無いのでせうかね。
今と成つては可也珍しい部類の橋では無いかと思ひますので、出來れば詳細が知り度い處であります。 |
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出來ますれば橋の下に潛つて如何云ふ構造か見てみ度い氣分でありましたが、御覽の通りの護岸の河川でありますので、とても叶ひさうに無いのが殘念でありました。
せめて何處かに竣功年が明記されてゐて呉れれば良かつたのでありますが、さうで無いのも歴史的物件らしいと云へばらしいのでせうから、
まあ、或る意味仕方が無いのかなと云ふ感じでもあります。
本音では知り度いでありますがね。
併し之、子供達の交通安全への注意喚起の看板なのでせう、微笑ましいであります。
以上、御附合有難う御坐いました。 |