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國道一二三號も結構面白いなと思ひ航空冩眞で御前山から北上してゐた處、思はず此橋を見附けて仕舞ひました。
して、現地某サアキツト北ゲエト手前の橋上からの眺めであります。
溪谷に架る可憐な橋と云ふ感じで中々に素敵であります。
では、探索へと向ひませうか。 |
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此んな場所に道が在つたのかとは全く分ら無かつた、抑々分岐點とすら氣附か無かつた所から入ると(先づ夜間しか通ら無い爲)、
如何にも舊線形なのか待避所なのか匂はせ振りな部分の在る道を、結構な斜度を伴ひ下りて行きます。
ゴミ捨て禁止の看板が在るも、今や地元の人しか見無いのか錆に蝕まれてゐます。 |
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舊來からのコンクリート舖裝が現れ、中々に雰圍氣が出て來ました。
道の袂に轉がつてゐるタイヤ、下駄タイヤでありました。
でありますが、既に社名すらも判讀出來無く成つてゐます。
車軸も附いた儘なのでありますが、隨分軸間狹かつたので、何か農機具に使はれてゐた物でせうか。
併し下駄タイヤは良いであります。
是が泥濘みには一番のタイヤでは無いかと思つて居ります。 |
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も一度、今度は右に折れると遂に現れました。
逆川に架かる牀の澤橋であります。
半ば廢橋の樣な雰圍氣でありますね。
一應車兩が通つた跡は在りますが、直ぐ先は行止りでありますので、如何對處したのか氣に成ります。
併し何か、高欄が結構大變な事に成つてゐる樣が伺へます。
では、此方左岸側から見て行きます。 |
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逆川。
意匠的には普通の親柱でありますが、銘板の大きさが結構な物であります。
尚、近くには「まむしに注意」と在りましたので、川面に向ふのは控へました。 |
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床の沢橋。
まあぱつと見にも戰後物件でありますから、其處は新字體も書いて置きませう。
と、親柱の内側に工事銘板が附て居ります。
年代的には西暦1960年代と云ふ處でせうか。 |
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昭和四九年七月竣功でありますか。
親柱内側に工事銘板が附てゐる橋としましては、結構晩年の物だつた樣であります。 |
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高欄は結構、否、可也補修されて居りまして、最早ほぼ別物では無いかと云ふ感じであります。
一體何が在つたのでせう。
實はですね、此處、何故か下流側を冩すとピンボケと云ひますか手振れと云ひますか、さう云ふ寫眞許多く撮れて仕舞ふのでありますよ。
特に高欄が補修されてゐ無い邊りが入りますと尚更、と云ふ感じでありまして。
デジカメでアレだと云ふのが分る人は御察し戴けると思ひます。 |
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本當、何が原因なのでありますかね。
昭和六一年の水害の影響でせうか。 |
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橋の手前には清流が流れ込んで來てゐます。
と思はせて措いて、實は某サアキツトの調整池からの排水であります。 |
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渡り切つた先は直角に折れてゐます。
之、普通車でも嚴しかつたのでは無いでせうか。
では、右岸側を見て行きます。 |
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逆川。
道が直角に折れてゐる部分でありますのに、親柱は綺麗な儘であります。
却つて、斯う云ふ方が注意して通行する分、大丈夫なのかも知れませんね。 |
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床の沢橋。
平假名の讀みで附くでも無く、左右兩岸で對稱の銘板でありましたね。
まあ折角でありますので、も少し先の道も見て措きます。 |
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直角に折れた處の岩の袂に在る石碑であります。
開墾碑、でありますかな。
利水が良く明治卅一年に開發が始まつたとか何とか書かれてゐますが、其場所の一端で、
よもや廿世紀末からは自動車や自動二輪車が物凄い速度で走り囘る場所に成るとは露も思は無かつたでせうなあ。
きつと、當時の人が現代に戻つて來て見たとしましたら卒倒しますな。呵呵
因に明治卅八年四月建立でありました。 |
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もう十米と行かずに通行止であります。 |
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道はも少し續いてゐるのでありますが、直ぐに調整池の堰に呑まれて終了であります。
此先に續く道は、一枚目の寫眞を冩した橋から直ぐの右手に入る道であります。 |
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如何にも昭和四十年代迄の、纖細な作りの橋と云ふ感じであります。
斯う云ふ景色には、スラブ形式の細身の桁が似合ふと云ふ處でせうか。
土臺だけ混凝土で、其上は石積みの橋臺と云ふのが珍しいと云ふ感じでありますが、其も景色に馴染んで良い感じであります。
でもね、此處、素敵な場所なのでありますがね、何かずつと誰かが背後に居る樣な感じがしてゐましてね、特に下流川を撮る時にはラツプ音がしてゐたり何故か手振れしてゐたりが多かつたのでありますよ。
さう、大體舖裝の變はり目からでありますかなあ、ずうつと感じてゐましたのは。
惡い感じでは無かつたのでありますが、一寸御願ひだからじつくり冩眞撮らせて呉れと云ふ感じでありましたよ。
以上、御附合有難う御坐いました。 |