 |
此方は伊王野の道の驛から國道二九四號を一キロ程北上し、左に入り少し進んだ處、奈良川に架る橋であります。
まあぱつと見は別段取上る物件では無い樣にも見えますが、手前の現代的な橋は一徑間で結んでゐる處を二徑間で結んで居ります。
と云ふ事は其也の年代の物件だらうと云ふ事での取材でありますが、其實如何でせうか。
と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。
因に、御覽の樣に何處にも銘板は御坐いませんでした。 |
 |
行也横から見て居りますが、尖頭型では無く普通の、と云ふ書方もアレでありますが、一般的な圓い姿の橋脚であります。
型枠の跡は如何なのか見度いでありますが、此方下流側は逆光に成りますので見辛いでありますね。
主桁の形式は牀版橋と云ふ處でありますね。 |
 |
と云ふ事で右岸上流側からの眺めであります。
細い型枠の跡から、昭和四十年代前半迄の物件だと云ふ事が想像に難く無いと思はれます。
と云ふ事で歸宅後に那須町橋梁長壽命化修繕計畫を見ました處、橋名と竣功年度が分りました。
と云ひましても是で間違無いと云ふ確證は得られて居りませんが、航空冩眞でも確認致しましたのでほゞ間違無いと云ふ事で、鎌神橋と云ふ名稱と、
昭和卅八年の竣功と云ふ事で良いのだと思はれます。
まあ、特徴からしましてさうであらうと思はれます。 |
 |
して、此方右岸上流側は自動車が通行し易い樣地覆が少し斜に成つてゐるのでありますが、牀版を見ますと、如何やら後年に成つてから加工された樣にも見えます。
とは云へ、之では却つて脱輪して仕舞さうな氣がし無いでも無いでありますが、橋、自動車共に損傷する依りは増しと云ふ事でせうね。
併しまあ、後年に成つてガアドレイル高欄が附られる事も無く、中々に昭和的な風景の儘今迄殘つて居りますので、出來れば此儘の姿を維持してゐて欲しい處であります。
唯、冩眞機の焦點が合は無かつたり、地覆に顏認識が入つたりしましたのが氣掛りと云へば氣掛りでは御坐いましたがね。
以上、御附合有難う御坐いました。 |