2678年 12月 3日 探訪
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此方は
【日光市石屋町-日光 志渡渕橋】
依り四百米程志渡渕川を下つた處、
【日光市寶殿 筋違橋】
依り八百米程上つた處に架る橋であります。 ぱつと見に志渡渕橋と同樣の意匠でありますので同年代の物件と思はれますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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うゝむ、殘念乍銘板は消失して居ります。 一應僅に殘骸が殘つてゐる事から、元から附無かつたのでは無く、何かしらの理由で外された、若くは外れたのだと思はれます。 多分、此方には橋名が書かれてゐた事でせう。 |
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此方は綺麗に無く成つて居ります。 併し良く綺麗に外せた物でありますね。 まさか銘板を破壞して取つたのでせうか。 でありましたら手荒く勿體無いのでありますが。 |
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排水桝はなぜか塞がれて居ります。 では右岸側へ移動致します。 |
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高覽の意匠は志渡渕橋と同樣であります。 |
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嗚呼もう、本當に殘念であります。 此樣子からしまして、外されてから其也の月日は經過してゐる樣でありますが、最初から銘板が無かつた譯では無いと云ふ判斷が出來さうであります。 |
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おや、銘板のしたにも何か、橋歴板に當る物が附てゐたのでせうか。 |
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上下二行に亙り何か書いて有つた樣でありますが、之では判讀不可能であります。 下段には「〇〇會社 〇組」と書かれてゐるのが分る程度でありますね。 嗚呼、勿體無い。 |
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横から見ますれば、矢張混凝土T字桁でありました。 多分竣功は志渡渕橋同樣昭和廿九年なのでは無いでせうか。 其と橋名でありますが、日光市の橋梁點檢結果を見ますに、多分、斷定は出來無いのでありますが、志渡渕川橋と云ふのでは無いでせうか。 とは云へ、其以上の判斷材料が有りませんので、明記する事は控へた次第であります。 まあ、今や此方の前後にもつと幅員の廣い橋が架けられて居りますし、さう云ふ點では道路としての重要度も下がつてゐるとは思ひますが、 出來れば銘板を當時物同樣に再生して、長く歴史的物件として殘つてゐれば良いなと思へる橋でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |