2678年 7月 2日 探訪
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此方は
【鹽原町金澤 堰場橋】
依り四キロ強程箒川を下つた處に架る橋であります。 元々は堰場橋から下で箒川を渡るのは國道四號の 【矢板市土屋-大田原市薄葉 舊、舊々野嵜橋跡】 だけでありまして、其間十二キロ程現在の樣な橋が無い状態だつた樣であります。 でありますので、其間を埋る樣にする爲に此方が架橋されたのだらうと推察致します。 と云ふ事で此方、如何云つた物件なのか此方右岸川から見て行き度いと思ひます。 |
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右岸側、橋の袂には橋の開通記念碑が建立されて居りました。 其程に念願の架橋だつたのだらうと想像に難くありません。 |
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宇都野橋。 是は珍しい、一字ずつに銘板が分れて居ります。 而も隨分と流麗な姿をした親柱に成つて居りますが、此痛み具合は其造形が災ひしたのでせうか。 因に、橋名は見ての通り地區名からの由來であります。 |
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記念碑の後側、石積で丁寧に作られて居りました。 |
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箒川。 矢張曲面と云ふのは混凝土の伸縮に弱いのでせうか。 勿體無い位の剥れ樣であります。 |
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栃木縣道卅號線からの取附道路の擁壁も綺麗な石積であります。 併し、何も無い處に道路を造ると斯う成ると云ふ、現在に通じる典型的な姿と云ふ感じであります。 因に、ガアドレイルは丸柱の古初期型であります。 |
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橋臺に對する親柱の造形。 |
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横から見ました處、三徑間の鈑橋であります。 |
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高欄は昭和四十年代以降の典型的な金屬製であります。 して、排水桝は土で埋つてゐて確認出來ませんでした。 では左岸側へ移動致します。 |
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うつのばし。 「バシ」濁るのが意外でありましたが、濁りも立派な日本語文化でありますので、手荒く大切にし度いでありますね。 併し此方の親柱は比較的良い状態を保つて居りますね。 |
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昭和44年9月竣工。 さう、最初は昭和五十年代程度の物件だらうと思つてゐたのでありますが、意外と古かつたのであります。 で以て、もう既にほとんど年度末竣功の物件が多い中、六月竣功と成つてゐるのも珍しいと云ふ感じでありました。 此方、親柱さへレストアして上げれば手荒く見違へると思ひますので、是非共綺麗な姿にして上げて欲しいなと思ひました。 橋的には、正直現代の架橋だなと思ひアレでありましたが、まあ、さう云ふ物件の先驅的だと思ふと興味深い物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |