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水門附帶橋から二百米程太田堀沿を下つて行きますと、風情溢れる景色が彩りを添へるかの樣な橋が現れました。
まあ、高根澤界隈では見慣れた無名農用道橋の意匠である高欄でありますので然程期待はしてゐ無いのでありますが、不取敢見て行く事に致しませう。 |
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今迄見た此手の高欄を有する物件の中では、一番幅員が廣いでせうか。
と云ひますか、何と銘板が附いてゐるではありませんか。
之は思はぬ收穫であります。
では、此方右岸側から見て行きます。 |
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太田堀。
成程、此橋が架設された當時の正式名稱は太田堀なのでありますね。
と云ふ事は、大沼川は後年に成つてから變更された名稱、と云ふ事でありますね。
何故にさう云ふ事に成つたのか、何か河川關係の法令の定める處だつたのでせうか。 |
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てんじんばし。
何か背丈の低い親柱が可憐な感じであります。
嗚呼でも之、現代では何をアレしたのか、きつと「てんじんはし」とか濁ら無い表記にしさうでありますね。
併し何故に此處で天神橋と云ふ命名なのでせう。 |
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嗚呼成程、納得であります。 |
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昭和卅三年三月竣功。
と云ふ事で、此橋と似た意匠の欄干を持つ橋は、大體同年代と判斷して良いと云ふ事でありますかね。
然しもう一つの疑問でありますが、では一體何時頃迄太田堀と呼ばれてゐて、何時頃から大沼川と云はれる樣に成つたのかが知り度いであります。 |
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天神橋。
御願ひだから天神さん、そつと教へて呉れ・・・る譯無いでありますね、はい。
嗚呼、でも改て以前に上げた太田堀と江沼川の橋を其々見たのでありますが、微妙に高欄の意匠が違ふのでありますね。
此方は銘板が附橋だけあつて、一寸贅澤な作りに成つてゐるのかも知れません。 |
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桁的には何でせう、T字桁と云ふ形式でありますかね。
PCなのかRCなのかは分りませんが。 |
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斯うして左岸側からも見て見ますと、何本かの道が集る場所でありますので、多分に此方は交通の要所なのかも知れません。
はつきりとした事は云へませんが、昔からの何かの街道筋なので幅員も廣く、命名もされたのでは無いかと思つた次第であります。
以上、御附合有難う御坐いました。 |