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國鐵烏山線の仁井田驛前を通る栃木縣道十號線の舊道。
縣道二二五號線と交はる文挾交叉點から東進する事百米少々、中々に良い雰圍氣の橋が架つて居ります。
其が此方、江沼橋であります。
まあ、ぱつと見に兩側の歩道橋部分は後年に成つてから附足されたのが分るのでありますが、其以外には何な特徴が有るのか樂しみであります。
では、右岸側から見て行きます。
あ、因に中央線から右、下流側が平田で上流側が文挾であります。 |
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江沼川。
はい、此處が問題の河川であります。
多分元々は江沼川だつたのでせうか。
其が河川改修、若くは法改正か何かが有つて現在の井沼川に變更したのだらうと思ふのでありますが、其は先の太田堀と同時期頃だつたのでは無いかなと推察致します。
と云ふ事で、多分に昭和卅年以降の事だつたのでは無いのかと思ふのであります。
其時に圃場整備と云ふのでせうか、同時に江沼川も丸で別物の用水堀同様に成つて仕舞つた様でありますので、其の時にでも変はつたのでは無いかと思ふ次第であります。
併し中々に古風な感じの銘板であります。 |
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えぬまはし。
不濁に「はし」であります。 |
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高欄も特徴的な意匠と云ひますか、他では見た事の無い造形でありますが、簡素乍中々に凝つてゐると思ひます。
して、結構アスハルト舗装が多く盛られてゐる樣であります。 |
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嗚呼、御勞しや。
では、左岸側へ移ります。 |
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嗚呼殘念、銘板が消失して居ります。
多分此處には竣功年度の銘板が附てゐたのでは無いかなと思ふのでありますが、若かして兩側の歩道橋が出來た時にでも外されて仕舞つたのでせうか。
併しまあ、案外此橋に附てゐる銘板つて薄いのでありますね。
段差が餘り無いでありますものね。 |
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江沼橋。
此處の親柱が、一番當時の姿を留めてゐるのでは無いでせうか。 |
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して、銘板を良く觀察して見ますと、斯う云ふ取附方法の感じでありますと、昭和十年代頃の物件では無いかなと云ふ感じであります。
別な處で見たさう云ふ年代の橋が、正に斯う云ふ感じでありましたから。
唯、今の銘板が附てゐる部分依り一囘り大きく混凝土が附られた跡が在るのが氣に掛ります。
若しかして、元々はも少し大きい銘板が附てゐたのが物資供出で斯樣な姿に成つて仕舞つたのかなと思はせる樣な感じ、
若しくは元々混凝土に直に文字を彫つてゐたのを銘板を附る方向に變更されたのか、と云ふ處でせうか。
まあ何れにしましても謎が解明する譯では無いのでありますがね。 |
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と云ふ事で、横から桁を見れば少しは何か分るかも知れ無いと思つたのでありますが、歩道橋の鋼桁に隱れて仕舞、さつぱり分りませんでした。
嗚呼、でも太田堀橋(舊)の形式共違ふかなと云ふのは何と無く分りました。
其と、此方の橋も之だけの川幅を一徑間で結んでゐるのは、當時物としますれば結構な物だと思ひます。
うゝむ、さう成りますと、實は案外新しい物件なのでありますかね。
何れ機會が御坐いましたら下に潛つて桁を觀察し度いと思つて居ります。
して、最近に成つて高根澤町長壽命化修繕計畫を見ました處、昭和七年竣功の橋だと分りました。
矢張歴史的物件だつたのでありますね。
以上、御附合有難う御坐いました。 |