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上高根澤地區で現在の栃木縣道三四一號線と分岐し、元來の道筋を進む事約三百米、最初は地圖でも確認出來無かつた小さな用水に架る可愛らしい橋であります。
當然、此處に橋が在るとは露も思つて居りませんでしたし、突如現れた其姿から、之は若しかすると結構な年代物物件かも知れ無いと思つたのでありますが、扨、如何な物でせうか。
では此方、右岸側から見て行きます。 |
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と思ひましたら殘念、銘版が外されて居ります。
小さな橋の所爲か、親柱自體も小振りな大きさであります。 |
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嗚呼殘念、此方もであります。
唯、銘板が附てゐた部分と親柱本體の褪色具合と云ふか劣化具合が似てゐる事から、竣功後、然程の年月を經ずに外されてゐるのでせうか。 |
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若しや直接彫つてゐるのかと思ひ良く見ましたが、違ひました。 |
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此欄干の八角形の意匠だけを見ますと昭和初期に通ずる物が有るな共思つたのでありますが、親柱の意匠等は昭和卅年代以降の樣な感じも致しますし、
何共判斷に困ります。
と云ひますか、路盤、結構盛られて居ります。
では左岸側へ移ります。 |
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まあ、さうでありますよね。 |
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若しかして最初から銘板は附てゐ無かつたのかな共思ひましたが、此方の親柱を見て、最初は附てゐたんだと分りました。
併し道との段差が無く成る樣、結構舖裝が盛られて居ります。
航空冩眞で確認致しました處、昭和五十年には斯樣に舖裝が盛られてゐる樣子でありました。 |
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桁を見ますと、此は單純桁、と云ふ形式でせうか。
して、當然の樣に橋名は不明なのでありますが、せめて竣功年の手掛りをと思ひまして、其解を何時もの如く航空冩眞に求めました。
が、ううん、何か昭和廿四年のも卅八年のも五十年のも同じ樣に見えるのであります。
と云ふ事は其つて戰前物件と云ふ事でありますよね、と云ふ事なのでありますが、確かに欄干の意匠等からしてもさう云ふ雰圍氣なのでありますよね。
何かさう簡單に斷定して仕舞ふのもアレなのでありますが、まあ何れにしましても、殘つてゐて呉れて有難う、と云ふ感じでありました。
以上、御附合有難う御坐いました。 |