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此方栃木縣道六四號宇都宮向田線の舊道に當る部分の道筋であります。
昔からの街道筋には古橋が在るだらうと思ひました處、矢張在りました。
ぱつと見にも緩い弧を描く高欄や細く配置された柱等から、結構な年代物だと云ふ事が想像出來ます。
では一體何時頃の物件なのか、此方右岸側から見て行きませう。 |
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昭和八年七月。
何と、行也核心部分でありますが、御見事、戰前物件であります。
其も昭和一桁物件であります。
而も親柱、結構程度が良い状態の樣に見受られます。
して、一寸面白いなと思ひましたのは、昭和一桁物件でありますのに銘板が附てゐる事と、埋込れてゐるのでは無く、鋲にて取附られてゐると云ふ處であります。
鋲留つて初めて見たかも知れません。 |
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親柱が高欄の柱も兼てゐるのは、此年代にしましては珍しい方では無いでせうか。
と云ふ事は、二つ珍しい事が盛込れてゐる物件なのかなと思ひます。
舖裝が盛られてゐ無ければ、之きつと高欄と同樣に路盤も緩く弧を描いてゐると云ふ事でせうか。 |
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古川橋。
光の關係で一寸見辛くて失禮致します。
斯うして見ますと、銘板、結構薄手なのだなと思ひました。
歪振りがねえ、一體何が打當つて斯う成つたのだらうと云ふ感じであります。
と云ひますか之、穴が開いてゐるのが一寸何共一瞬ドキリと致しました。
最初見た時、若かして誰か十四年式か九四式でも試射しやがつたのかなと思ひましてね。
ま、其な事は無く、無理矢理銘板を外さうとしてか何かで開いた穴なのでせうけれどもね。呵呵
では左岸側へ移動致します。 |
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用水。
用水と律儀に銘板が附と云ふ事に感激であります。
之も大凡昭和卅年代迄の事なのでせうけれども。
きつと高度經濟成長と共にどんどん色々な物を失つて行つたのでせうね、日本人。
因に、直傍の境界標は高根澤町のでありまして、舊字體を期待したのでありますが、「澤」でありました。
後年に成つて道路擴幅か河川改修かされた、若くは縣道から町道に成つた關係でせうか。 |
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ふるかわはし。
此方は濁らずに「はし」なのでありますね。
銘板上部の混凝土の壞れ具合、矢張若かして誰かが外さうとした形跡なのでせうか。
ん、と云ひますか、全ての銘板を良く見ますと、周圍に混凝土が盛られてゐると云ひますか、一囘り大きい何かを埋た樣にも見えますね。
まさかとは思ひますが、元々は親柱に直に文字が彫られてゐたのを埋め、銘板を後年に成つてから取附たのでせうか。
而も其を、戰時中の物資供出で外さうとした爲に銘板が痛んでゐる、と云ふ事なのでありますかね。 |
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併し凄いのは、此銘板全體に施された模樣であります。
當然の如く機械の無い時代でせうし、此具合からしまして手作業で全て施されてゐるのでせうから、一體何れだけの手間と時間が掛つてゐるのでせうか。
手荒く素晴しい物が見られました。 |
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斯うして見ますと、矢張昭和初期の橋は手間掛つてゐるなと思ひます。
唯、意匠つて其々の年代で特徴が在るなと思つてゐたのでありますが、何か、此親柱を見ますに、一見して戰後物件の樣にも見える簡素さなのが不思議であります。
高欄にしましても、意外とあつさりしてゐるなと云ひますか、餘り古臭ひ感じがし無いのが珍しいと云ひますか。 |
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横から見ますに、成程矢張牀版も弧を描いてゐたのだなと思ひました。
主桁自體もさうでありますがね。
其と、此川幅で一徑間つて年代的に考へますと、結構な距離なのでは無いかなあと思ふのであります。
どちらかと云ひますと、橋脚を一本設て二徑間にしても良ささうな川幅でしたでせうに。
其も含て、結構實驗的要素が盛込れた物件だつたのかも知れません。
飽迄も拙の想像でありますがね。呵呵
以上、御附合有難う御坐いました。 |