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現在の栃木縣道十號線の東高谷交叉點を折れ、南下する事約五百米程の處に架る橋であります。
縣道から橋の手前迄は道路が擴幅されてゐる事から、行く行くは架替に成るのでは無いかと思はれるのでありますが、
不取敢現在の姿を撮る事が出來ました。
斜橋と云ふ事を考へますと戰後物件だらうと思はれますが、成程確に航空寫眞を見てみますと、昭和卅六年には現在の姿に成つてゐる事が確認出來ました。
と云ふ事は、井沼川の河川改修とほぼ同時期に此方も改修されてゐると見て間違ひ無いと云ふ事でせうか。
不取敢此方、右岸側から見て行きますが、御覽の樣に何方の親柱にも銘板は附られて居りません。 |
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左岸側からの眺めであります。
此方側にも銘板は御坐いませんでした。
舊線形ではも少し右手の方迄道路が伸びて、川と直交する樣に架橋されてゐた樣であります。
さう思つて見ますと、成程、如何して平場が在るのかなと思つたのも納得であります。
路盤が混凝土其儘と云ふのが良いでありますね。 |
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高欄を見た時には結構な年代物かなと思つたのでありますが、親柱の意匠や斜め架橋等から、戰後物件だらうなと思つた次第であります。
まあ、斯うして見れば、一連の井沼川の農用道橋と似た樣な意匠の高欄でありますかね。 |
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多分此方の堰も昭和卅年代前半頃に作り直された物なのでせう。
設備は更新されてゐる樣な氣がし無いでも無いでありますが。 |
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桁の形式は、うゝむ、殘念乍分りませんでした。
唯、橋臺と桁の高さの關係等から致しますと、單純桁とかスラブ形式と云ふ物では無いかな共思ふのでありますが、如何なのでせうか。
併し水面が隨分と近いであります。
其も含めて、昭和卅年代だなと云ふ處でせうか。
以上、御附合有難う御坐いました。 |