2673年 11月 19日 探訪
![]() |
此方は高嵜製紙工場裏手の御用川に架る橋であります。 一見、何の變哲も無いガアドレイルが高欄の規格橋の樣でありますが然に非ず、其實密に影に隱れた部分が當時物の存在を主張して居ります。 併し之、ガアドレイルが傷附てゐると云ふ事は、親柱の存在に氣附ず突込んだり、あはや轉落と云ふ事も無きにしも非ずだつたのでせうか。 と云ひますか、皆狹い道なのに、根本的に飛ばし過ぎなのでありますよね、自動車の性能過信し過ぎで。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行きます。 |
![]() |
ガアドレイルの外側、實は地面に減込む樣に親柱が建つて居ります。 と云ひますか、後年に成つてから路面が手荒く盛られて舖裝されてゐるのだと思ふのでありますが、此處迄埋沒して仕舞つては危險と判斷されたのか、 後年に成つてからガアドレイルが設置されたのだらうと推察致します。 と云ひますか、親柱には古さうな擦傷が見られますので、斯樣に改修される以前からアレな運轉手が多かつたと云ふ事でありますかね。 |
![]() |
上流側も又然り。 と云ひますか、此前のめり具合は何なのでせう。 さうして、親柱と高欄の間に混凝土盛つて金網を設置するとか、何が如何成つてゐるのかアレな状況であります。 |
![]() |
高欄は斯う云ふ具合の意匠であります。 之は此道が開通すると同時に作られた橋でせうから、此方 【河内町白澤 名稱不明橋】 と同一の形式、意匠なのは間違ひ無いでせうから、何れだけ路盤嵩上げしてゐるのかと云ひ度く成る位だと思はれます。 まあ、ガアドレイル位附無いと、轉落する人續出だつたらうなあと思ひます。 では右岸側へ移動致します。 |
![]() |
まあ、ええ。 はい。 |
![]() |
右岸下流側の親柱は消失して居りました。 高欄の端の方も手荒く缺けてゐる事から、ガアドレイルが設置させる以前に、結構手荒く自動車でも打當て壞れて仕舞つてゐたのでせうかね。 併し此方も道路側の崩落防止の爲か、橋臺の翼壁が嚴い事に成つて居ります。 然しほとんど斯う云ふ形態の橋臺を見掛無いと云ふ事は、然程利點が無かつたと云ふ事なのでせうか。 まあ、御蔭樣で歴史的構造を見る事が出來ましたので、良い收穫に成つたのでありますがね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |