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昭和卅年頃開通した競輪場通り。
元々は縣道十號線では無かつた樣な氣がしたのでありますが、まあ、其道が田川を渡る橋が此處、大曾橋であります。
今囘何時も通りの中央線附近からの冩眞は無しであります。
手荒く交通量の多い道でありますし、下手に自動車の運轉手も撮つて仕舞と直にモンスタア召喚しさうでありますから、之が精一杯であります。
其は措いとゐて、如何やら慢性的な澁滯を緩和する爲に、此邊も四車線化する計畫ださうであります。
では此方、右岸側から見て行きます。
因に、中央線から上流側が上大曾町、下流側が錦三丁目であります。 |
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田川。
昭和卅年頃開通の道からしますれば、結構凝つた意匠の親柱でありますね。
隨分と細いでありますが。
其と、反射鏡も結構年季が入つてゐさうであります。
高欄は桁毎に分れてゐる物の樣であります。 |
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大曾橋。
此感じからしまして、兩側の歩道橋部分は後から附加へられた物だと思ひます。
歩道橋側の高欄は、全ての桁で一體に成つてゐる物の樣であります。 |
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高欄は斜に取附られた混凝土板が如何にも昭和卅年代と云ふか、西暦1960年代と云ふ感じでありまして好きであります。
では、左岸側へ移動致します。 |
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昭和四十五年三月完工。
完工とは又、餘り見無い表現を用てゐる樣で、と云ひますか、此意匠で昭和四十五年とな。
否、だつて道の開通は昭和卅年頃でせう、僅か十五年程度で架替でありますか。
其共、竣功では無い事から、歩道橋を架設して、親柱も邪魔に成ら無い樣新に作り直し終た事を記して、昭和四五年三月完工とし度のでせうか。 |
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おおぞばし。
唯、一寸謎なのでありますが、假に最初から斯う云ふ具合に歩道を設ける事を想定してゐた親柱だつたのかと。
でも其なら最初から歩道も作つてゐるでせうし、さう成れば親柱の位置も違ふ筈であります。
其で以て、昭和四五年で高欄に此意匠は無いでせうから、矢張改修が昭和四五年と云ふ事で良いのでありますかね。 |
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横から見ますと、三徑間の混凝土T字桁橋の樣であります。
併し正直、航空冩眞を見比べますと、桁の數や幅員も違ふ樣な感じに見え無くも無いのでありますが、はつきりと確認出來無いだけに何共云へません。
其に此魔改造された樣な、一體何處と何處が元々の姿をしてゐる橋桁なのか分ら無い樣な状態でありますし、川牀に元々の橋桁の痕跡も無い事等からしまして、
昭和四五年架替が俄に信じられ無いと云ふのが正直な感想であります。 |
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此方の冩眞の方が、橋脚の特徴を掴み易いでありますかね。
多分、基本と成る基礎の部分は元々のだと思ひますし、柱に成つてゐる部分もさうでは無いかと推察致します。
して、卷かれた補強の部分は近年の物だと致しまして、桁が乘つてゐる邊と色々、もう素人には如何判斷して良いのか分ら無い物件であります。
何氣無く渡つてゐる市内の橋、但し色々と謎を含んでゐる物件は何處にでも在ると云ふ好例が此方では無いでせうか。
以上、御附合有難う御坐いました。 |