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此方は國道二九四號と栃木縣道五二號線の上町交叉點から百米弱程、縣道五二號線を矢板市方面に進んだ處に架る橋であります。
最初は何氣無く通つたのでありますが、通過する直前に如何にもな高欄に氣附、慌てて引返して來た次第であります。
扨、ぱつと見に片側が擴幅された橋でありますが、元の橋の部分は竣功年度等も含て如何云つた橋でせうか。
不取敢此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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親柱は無く、高欄の端に銘板が取附、附られる豫定だつたのでせうか、さう成つて居ります。
其共、直接文字が彫られてゐたのかな共思つて見たのでありますが、さう云ふ痕跡も御坐いませんでした。 |
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反對側、多分此舖裝、縁石に平行する樣に見える舖裝の繼目の邊が元々の幅員なのでは無いかと推察致しました。 |
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高欄は如何にも昭和廿年代と云ふ感じの意匠であります。
では右岸側へ移動致します。 |
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まあ當然痕跡は皆無であります。 |
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此方側、いやあ、手荒く埋つて居りますね。
何か書かれてゐるかと思ひましたが、何も御坐いませんでした。 |
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横から見ました處、牀版橋でありました。
扨、竣功年でありますが、航空冩眞を頼りにと思つたのでありますが、是が如何にも判斷出來無い感じでありました。
唯、昭和卅八年と四四年では幅員が違ふ樣な感じでありますので、若かしますと其間かも知れませんし、其以降、昭和五十年の冩眞では、
此方の橋から矢板方面の道路が擴幅されてゐる樣に見受られますし、假に昭和四十年前後に架橋されたのでありましたら此幅員、此高欄は無いと思ひますので、
若かしますと戰前物件なのかも知れません。
何だかすつきりと致しませんが、不取敢、古さうなのは確かであります。
其と、此冩眞を撮る爲に居る道路は後年に成つてから作られた樣だと云ふのだけは分りました。
でありますので、斯う云ふ道路構造に成つてゐる樣であります。
以上、御附合有難う御坐いました。 |