2682年 3月 15日 探訪
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此方は
【小山市乙女-網戸 乙女大橋】
依り一キロ三百米程思川を上つた所の右岸、網戸(アジト)側であります。 以前に網戸大橋を渡つた時に舊橋跡が殘つてゐるか見た處、何か混凝土構造物の樣な物が御坐いましたので來た次第であります。 と云ふ事で、河川敷の元の道筋だらう所走る事少々、斯樣にアスハルト舖裝が殘つてゐる部分が御坐いました。 |
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川筋に近附と舖裝部分は左に向ふ樣に途切ましてますが、何か簡易舖裝の樣な状態が現れましたので、其儘直進で川筋に向つて見ます。 |
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おゝ、對岸迄續く、紛ふ事無く橋脚跡が殘つて居りました。 手前側、護岸が崩てゐる樣でありますが、之は近年の臺風に因る被害だと思はれます。 扠、何か左手に金屬管が三本立つてゐた跡が御坐いますが、之も橋脚跡なのでせうか。 |
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航空冩眞で調べました處、此三本の鐵管跡が昭和四三年に架替られた六徑間のPC牀版潛水橋の跡だと云ふ事が分りました。 して、其周圍の混凝土構造物は、多分護岸として機能してゐた橋臺跡、勿論鐵管も含て、では無いかと推察致しました。 因に、其は昭和四九年の航空冩眞で確認出來たのでありますが、勿論其先代橋の橋脚跡も其儘殘つてゐた儘なのも確認出來ました。 其先代橋でありますが、元々の竣功年は不明でありますが、昭和廿二年の航空冩眞では橋脚のみと成つて居りますので、カスリイン臺風で流出してゐる樣でありました。 併し、其から昭和六十年の網戸大橋架橋迄潛水橋の儘で無事だつたと云ふのも凄いであります。 と云ふ事で、色々と歴史を感じさせて呉れる物が見られて手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |