2681年 2月 9日 探訪
![]() |
此方は
【小山市梁 梁橋【新】】
依り百米程田川を下つた處に架る、栃木縣道卅五號線舊道側の橋であります。 舊道側の橋でありますので現道側依り古い、と思つたのでありますが、架替られてゐると云ひますか、何か不思議な樣子なのでありますが其實如何でせうか。 と云ふ事で此方、左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
![]() |
梁橋。 隨分と低まつた位置に親柱が御坐いますし、地覆迄の不思議な混凝土の附方は何なのでせう。 御影石の銘板が附てゐる親柱では 【馬頭町小砂 上竹橋】 に通ずる物が御坐いますので、多分同世代の橋と云ふ事でせうか。 |
![]() |
田川。 斯うして見ますと相當に舖裝が盛られて居りますので、桁だけ交換されてゐるのでせうか。 |
![]() |
高欄や地覆を見ますと、如何にも新世代の橋と云ふ感じでありまして、此處だけは違和感が御坐いません。 では右岸側へ移動致します。 |
![]() |
やなばし。 親柱が痛んでゐる部分を見ますと、矢張元々はも少し廣い桁だつた事が想像に難く無いであります。 と云ひますか、「梁」で「ハリ」では無く「ヤナ」と讀むのでありますね。 何か、或る意味難讀地名では無いでせうか。 |
![]() |
昭和三十二年三月竣工。 嗚呼、之は親柱を殘して、と云ひますか鏡臺は再利用して桁だけ更新されてゐると云ふ事でせうか。 |
![]() |
見辛いので接冩致しました。 石の銘版でありまし度ら盜難の心配は無用でありますね。 と云ひますか、混凝土に黒御影石の組合はせも中々に素敵であります。 |
![]() |
横から見ました處、四徑間の鈑橋で、否々、一應鈑桁は連續桁で、否、其處では無くて、橋脚の梁部や鏡臺の胸壁の高さから考へますと、
多分元々は混凝土の牀版桁だつたと思ふのであります。 其處に桁の老朽化か道自體が舊道化致しましたので、下部構造は其儘利用して現在の桁を載せたと云ふ處でせうか。 其にしましても、パイル部分でも中央の二本部分に載るだけの鈑桁と云ふのも中々の狹さだと思ひますが、最早是で十分に間に合ふ交通量、耐荷重なのでせうね。 因に竣功當初の姿でありますが、何處にも冩眞が見當りませんでしたので飽迄も想像でありますが、上記の上竹橋の樣な感じ、若くは混凝土管を二本使用した意匠だつたのでは無いでせうか。 因に、現在の桁は皇紀二六六〇年、(西暦2000年)竣功の樣であります。 まあ、中々に面白い物が見られて大滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |