2674年 3月 18日

 東北本線の内川橋梁(多分)。

 面白いのは、舊線側は斜に架けられてゐる點であります。
きつと流れに對して平行に成る工夫だと思はれますが、河川を改修するでも無く、線形を合はせる事も無くさうしてゐると云ふのは、 時代を考へますと結構珍しいのでは無いでせうか。

 但し其後の河川改修等を考へますと、逆に如何なのだらうと云ふ角度に成つてゐるのが、手前の下線側の橋脚を見れば一目瞭然でありまして、ええ。
 して、まあ、橋脚の姿からして大正時代頃の物なのでせうか。

 併し案外彼方此方に此煉瓦積の橋脚が在るのを知つて仕舞ひますと、別段取立てて近附て迄撮らうとは思は無く成ると云ふのが何共、實際。

 と云ひますか、増水した場合、新線(下線)側との角度の違ひで亂流とか起こら無いのでせうか。
 第二内川橋梁の下に落ちてゐた鐡索。

 何か鐡道關係の物でせうか。
 兩内川橋梁の眺め。

 築堤が上つて行くのか田圃が下つて行くのか、將又其何方もなのでせうか。
 其直ぐ傍、踏切が廢止された道。
 更に二百米程南下した場所の、矢張踏切が廢止された道。

 以上、御附合有難う御坐いました。

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