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遠目に一瞬ダイハツタフトかと思ひましたが、近附て見るとジムニーのLJ20でありました。 |
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360cc時代のジムニーは珍しいでありますかね。 |
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鹽谷町上平の縣道六三號線舊道添ひに在つた道標。
調べて見ますと、元々の分岐の位置とは違ひますから、現在の線形に成つた時、此處に移設されたのだと思ひます。 |
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明治廿九年の物が現存してゐるのでありますものね。
今のコンピウタアとかつて同じ位殘るのでせうか。
FDDやMOは消えましたが。 |
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眞正面から。
此實に素敵な佇ひ、素晴しいであります。
矢張長く何かを殘すなら石に文字を刻むのが一番でありますね。 |
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すつかり色褪した標識。
飛出注意、今や子供では無く熊とか豬の樣な氣がし無いでも無いであります。 |
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U字溝以前の立派な水路。 |
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風見發電所への導水路の傍に建つてゐる、謎の混凝土構造物。
何だつたのか、全く想像附ませんでした。 |
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今市市大渡、國道四六一號線沿に殘る三菱石油。 |
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今市市栗原の板穴川に架る東武鐡道鬼怒川線の砥川橋梁。
昭和廿一年竣功のプラツトトラス橋であります。
と云ひますか、此邊は會津西街道とか色々と色々でありまして、きちんと調べるには中々に大變な樣でありますので、暫く保留と云ふ事に致します。 |
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中岩橋右岸側の袂に在る石碑。
御手植之松ださうであります。
左側、上流五十五米迄は讀めるのでありますが、最後の一字が讀めませんでした。 |
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して、其裏側でありますが、昭和三年十一月云々、下野電氣鐡道云々と有りまして、多分最初に鐡道(現東武鐡道の前身)が開通した記念植樹か何かのアレなのでせうね。
正直、別段さう云ふ歴史云々に拙は然程興味御坐いません。
何度も書きますが、護り度かつたあの時の日本の風景と、戻つて來る迄の風景を見たいだけでありますから。 |
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此方は左岸側の袂に在る石碑であります。
道路開通記念碑なのでありますが、昭和廿二年竣工との事でありますので、會津西街道とは別なのかなと、何の道路を指しての物なのか不明でありました。 |
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某所。
コテエジ型の廢墟。
多分、モオテルでありますかな。 |
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鹽谷町蘆場新田、東武鐡道矢板線跡に在る蘆場新田驛跡。
プラツトホオムが其儘殘つてゐるのが素敵であります。 |
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此方は五月廿日の御負であります。
鹽原町宇都野で見附た、橋と云ふか暗渠と云ふか、さう云ふ類の物件であります。
以前は結構斯う云ふの見掛た氣が致しますが、何時の間にか軒竝規格橋に代はつて仕舞つたのでせうか。
以上、御附合有難う御坐いました。 |