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氏家町向河原、堤防沿の道の分岐點の部分、何が山の樣に在るのかと思ひきや、何と混凝土構造物でありました。
多分、草川用水の舊取水口の遺構かと思はれます。 |
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同、分水工と云ふか水門跡。 |
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勿論上部には可動部分が撤去された跡も御坐います。 |
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裏側を見ると、何處と無く當時の面影が偲ばれます。 |
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氏家町富野岡、大谷石造の舊消防團小屋。 |
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同、草川用水の水門。 |
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但し全六門中右岸側の二門は廢状態であります。
木の板で出來てゐる等、一體何時頃の物なのでせう。 |
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同、草川用水に迫出した謎の舞臺。 |
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何でせう、元々擦違ひの待避所だつたのでせうか。 |
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左岸側から見ると、斯樣な構造であります。 |
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氏家町草川、矢張何の爲に設けられたのか不明な舞臺。 |
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同、此方も。
川面に降りられさうでゐてさうで無いと云ふのは何故なのか。 |
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同、草川用水の御案内。 |
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氏家町氏家、左岸側が階段に成つてゐる人道橋。 |
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其階段の傍、木に飮込れさうなガアドレイルの支柱。 |
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同、水路。 |
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同、良い雰圍氣の木製電柱と人道橋。 |
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同、某一瞬だけ大流行した糞ゲーアレのアイテム入手場所にも成つた石碑群。
右から、昭和八年建立の十九夜塔、明治十年建立の何か(判讀困難)、明治十年建立の庚申塔、寛政九年建立の二十三夜塔、大正三年建立の勝善神、
但し土臺の十九夜は明治四十二年、其左の勝善神、其又左の馬頭尊は判讀不能でありました。
以上、御附合有難う御坐いました。 |