2677年 11月 21日 探訪
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此方は國鐵眞岡線の北眞岡驛から益子方面に四百米弱進んだ所に架る、所謂避溢橋の第四眞岡橋梁であります。 避溢橋と云ふのは少し調べれば出て來るので説明は大幅に省きますが、要は水害對策の爲の橋と云ふ事でありますね。 して、まあ、此方は餘裕で益子驛手前でありますから開業當初からの橋梁と云ふ事でせうが、有名二物件に比較して注目度は手荒く低いであります。 でありますが 【矢板市木幡 東北本線 第二内川避溢橋】 以來拙は避溢橋好きでありますので、手荒く美味しい物件と云ふ事で取上た次第であります。 では此方、眞岡方面から見て行き度いと思ひます。 |
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眞岡側の橋臺であります。 混凝土で補強されてゐるとは云へ、元からの煉瓦造の大部分は殘つて居ります。 近隣の住宅や今時の電信線が見え無ければ、可也當時の雰圍氣を殘してゐるのでは無いでせうか。 |
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橋歴板は見當りませんでしたが、塗裝記録で橋梁名が分りました。 鋲と螺旋の使ひ分けは如何云ふ事なのか興味深いでありますが、螺旋部分は後年に成つてから附足されたのかも知れません。 |
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順光側からも。 此方からの方が分り易い姿でせうか。 電信柱關係、"蝿叩き"でありましたら手荒く素敵だつたでせうね。 |
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橋脚。 矢張上端部は混凝土で補修されて居ります。 此時期の物件には珍しく尖頭型では無く、舟型と云ふのも煉瓦造では珍しいのでせうか。 |
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成程、主桁が載る部分は石造に成つてゐるのでありますね。 併し成程、道路橋とは手荒く違ふ梁の組方等、流石鐵道橋梁と云ふ感じであります。 |
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併し壓卷でありますのは、此方益子側橋臺であります。 何と驚きの一切の混凝土に因る補修無しでありまして、見事當時の姿其儘の樣なのであります。 |
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如何でせう、此見事な姿は一見の價値が有ると思ふのでありますが。 でもまあ、此儘無名な儘で元から知つてゐた人や自分だけ、此處を見附て知つた人だけの密かな樂しみの儘の方が或る種の優越感と云ふか、 自分だけの場所と云ふ感じで好きなのでありますが、其で萬が一架替にでも成つて仕舞つたら勿體無いので、少しでも知渡つて呉れた方が矢張良いのでありますかね。 何れにしましてもまあ、良い物が見られて手荒く滿足でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |