2676年 8月 1日 探訪
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此方は國鐵眞岡線七井驛から四百米程北上した處、小宅川に架る橋梁であります。 簡單に書けば、此方 【益子町七井 名稱不明橋二本】 の一本目の直横であります。 眞岡線と云へば五行川橋梁、小貝川橋梁が有名且つ土木遺産でありますが、其以外にも開業當初、延伸當初からの物件が殘つてゐる、 と云ひますか其殆どがさうなのでは無いかと思ひますので、だつたらと思ひ此方を取上て見る事に致しました。 否、縣道橋の序でにと云ふのは内緒でありますよ。 |
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では徑間の長い茂木側から見て行き度いと思ひます。 如何にも古鈑橋と云ふ感じで、鋲で組まれて居ります。 眞岡輕便線として大正九年に七井驛から茂木驛迄延伸された部分でありますから、其當時の物と云ふ事でせう。 |
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大正八年 株式會社横河橋梁製作所製作。 他は一寸判讀不能でありますが、成程、百年前の當時物でありますね。 |
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益子側は徑間が短い爲、可愛らしい桁であります。 此方に橋歴板は確認出來ませんでしたが、同時作成の物なのは確實でせう。 |
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橋脚は別段尖頭型に成つてゐる譯では御坐いませんでした。 其程流速が強く成る樣な河川では無いと云ふ事なのでせうか。 然し、其でも鐵道橋梁の橋脚でありますから、道路橋の物依りも手荒く頑丈なのでせうね。 |
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して、此橋臺も手荒く頑丈な事でせう。 まあ、鐵道物件は古い物が多いでありますし其ほとんどが有名でせうが、斯う云ふ具合に餘注目されてゐ無い物も中々に良い雰圍氣なのでは無いかなと思ひ撮つて見ました。 因に、實際の橋梁名は分ら無かつたのでありますが、多分河川名から附てゐるのだらうと思ひ書いたゞけでありますので、正確性は皆無であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |