2673年 2月 26日 探訪
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【現在地】 國鐡東北本線氏家驛から南下する事一五◯米程、明治時代の開業當初からの暗渠が在ると云ふ事でありますので、行つて來ました。 成程、護岸の石積は後年の物でせうが、煉瓦造の立派な坑口は明治物件と納得する物が有ります。 如何やら壁面の煉瓦は英吉利積の様であります。 多分。 因に寫眞は半年程前の物であります。 其時は外觀のみを撮つただけであります。 では此方、石町(コクテフ)の東側から見て行きます。 |
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煉瓦の卷立は四重であります。 ぱつと見に内部の状態は良好の樣であります。 |
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と云ふ事で、渇水期でありますのでいざ入洞と行きませうか。 |
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何か、目地の詰方が豪快でありますよ。 多分に可也の突貫工事だつたのでは無いでせうか。 違つた意味で中々の迫力が御坐います。 |
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之は正直、慣れてゐ無い所爲も有りますが萬が一を考へますと恐いであります。 と云ひますかね、汽車が通つてゐ無い時にも關はらず、絶へず「みし」とか軋む音がするのでありますよ。 其でも中央部迄は行つて見たのでありますが、震災の後と云ふ事も有り、餘震とかを考へると大丈夫だとは思ひつつも、慌てて引返しました。 危いでありますから少國民の皆は決して眞似してはいけませんよ。 |
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此方は西側の坑口であります。 東側同樣に良好な状態を保つてゐる樣であります。 日本鐵道の路線が此方に附替られた當時からの物件でありますから、何か土木遺産的な扱ひをされても不思議では無いと思ふのでありますが、 個人的には此儘の姿で居て欲しいと思ひます。 蘊蓄の看板等は無粹だと思ひますから。 大體歴史傳統文化等と云ふのは以下省略。 以上、御附合有難う御坐いました。 |