2673年 8月 27日 探訪
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此方は
【矢板市土屋-大田原市薄葉 國道四號舊、舊々野嵜橋跡】からの續きであります。 扨、では今度は舊野嵜跨線橋跡に向ふ築堤を進みます。 をゝ、之は混凝土舖裝が殘つてゐるではありませんか。 而も中央線が引かれてゐた痕跡もはつきりと殘つて居ります。 が然し、現國道四六一號に結構路盤は削られて仕舞つてゐるのでありますね。 と云つても、廢止部分でありますから關係無いのでありますが。 因に、四號の現道は此方に比べて隨分登つて居りますが、下線から分岐して四六一號に進む路線を下に通してゐるからであります。 |
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現道の歩道部分は此方に下ろして通してゐるのでありますが、此ガアドレイル、別段舊路盤の物共思へ無いでありますし、
別段必要無い樣な氣がし無いでも無いのでありますが、まあ、ええ。 不取敢、舊築堤との間に隙間は出來無い樣に築かれてゐると云ふ事でせう。 |
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國道四六一號の下線が通る爲に開鑿されましたので、舊築堤は一旦途切ます。 途切れた先、完全に緑に被はれ、一段高い右側の部分が舊路盤跡だと思ひます。 正直、腰以上に高い薮でありましたので、見ただけで踏破は斷念致しました。 矢張冬場ぢや無いと歩くのには困難でありますね。 |
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現道の歩道から見ますと斯う云ふ具合であります。 線形がはつきりと殘つてゐるのが御分り戴けると思ひます。 其兩側、緑が一段高く成つてゐますのは、きつとガアドレイルか柵が殘つてゐるからなのでせうね。 多分。 |
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して、線路の手前で途切て居ります。 唯之、一寸架線に對して低い樣な氣も致しますし、且つ一寸離れて居りますので、若かしますと橋臺は撤去されてゐるのでせうか。 |
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突端の部分を擴大して見てみますと、塞ぐ樣にガアドレイルが据附られてゐるのが分りました。 |
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現在の跨線橋を渡つてから見ますと、此方に向つてゐるのが良く分ります。 國道四號側は、曲率的にも緩和させ度かつたのでせうね。 |
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渡つた先は何だか隨分低い樣な氣がするのでありますが、もう之つは痕跡無いに等しい状態で、單成る開鑿前の丘と云ふ感じでありますね。 と、不取敢此處迄が嵜跨線橋の跡であります。 此近くに國鐡の箒川橋梁事故の慰靈碑が在ると云ふ事でありますが、其方は有名故割愛致します。 と云ふ事で、此方も隱れた廢物件でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |