2673年 8月 20日 探訪
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斯う云ふ場所で汽車の撮影すると恰好良いのだらうな。 とか思ひつつ、でも單に風景しか撮ら無いのでありますが、廣角レンズでも少し線路に近附て冩せば面白さうだなと思ひました。 が、汽車全盛の頃では黄金の飛沫を浴びて仕舞ひ撮影處ぢや無いだらうなあ。 等と如何でも良い事を考へつつ、でも何と無く汽車が來無い内に次の氣に成る場所へ向ふのでありました。 さう、突當りの森の處に 【名稱不明橋】 からの川が流れてゐるのであります。 |
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すると、突如豫期し無い煉瓦作りの橋脚と橋臺が現れ、度膽を拔れました。 まさか鬼怒川橋梁以外でも煉瓦作りが殘つてゐるとは思ひも依りませんでしたから。 と云つても、抑々鬼怒川橋梁の近邊でありますし、一定區間を以て鐵道つて開業するのでせうから、當然の如く同時期に作られてゐる譯でありますが、 物凄い穴場感滿載でありましたので驚歎した次第であります。 |
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上下線での作りの違ひが良く分かります。 一見しますと下り線側の方が混凝土で桁も厚く、堅牢な印象を持ちますが、若しかしますと之、震災後にでも補修されてゐるのでせうか。 何か、ねえ、ストラツトの部分も目地を埋た樣な感じでありますし、色々とアレなのでせうね。 複線化に伴ひ完成してゐるのでありますから、竣功し昭和卅六年前後でありますから。 併し、保線用の通路歩つて見たい感じであります。 |
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矢張り尖頭型の橋脚は惚れ惚れする形であります。 而も上側の方が少し窄まつてゐつつも尖頭型を保つてゐると云ふのが素敵であります。 多分、此處迄は増水する事は滅多に無いと云ふ事を前提にした簡略化、と云ふ事でせうか。 して、此方の橋脚、元々は流れの中だつたのでせうけれど、河川改修で片側が道に成つたので、陸に上がつた状態に成つて仕舞つたのでせうか。 |
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其で以て、鬼怒川程の流量では無いので裏面は平らな儘なのでせうか。 と云ふか、ほぼ混凝土で補強なのか作り直されてゐるのか、形態以外はほぼ原型を留めてゐ無いのが又何共アレであります。 多分でありますが、之つて桁が交換されてゐるからなのでは無いでせうか。 鬼怒川橋梁のさうでありますが、桁橋の部分は案外新しい物でありましたから、多分此方も明治期の物を廢して、ほぼ同時期に交換されてゐても不思議では無いと思ふのであります。 併し嗚呼、彼の梯子から降りて歩つて見たいであります。 |
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併し、上線は二徑間、下線は一徑間なのは良いとしましても、幾ら桁間が短いとは云へ、此程度の鋼材でも荷重に耐へられる物なのでありますね。 其共、道路部分の高さを確保し度い爲なのでせうか。 だと致しますと、一徑間で濟んでゐる下線の桁が無慈悲に低いでありますよね。 と云ふ事は、當時は此處を一徑間で結ぶだけの桁は無かつたから、と云ふ事なのでせうかね。 因に、橋臺部分もアレでありますから、此方の鋼材も後年に成り交換されてゐるのだらうと推察致します。 |
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若しかして、他にも煉瓦物件が殘つてゐるかも知れ無いと思ひ、少し鬼怒川橋梁に向て進んで見たのでありますが、何か良く分りませんでした。 と云ふだけでもアレでありますので、少し氣に成つた物件をば。 第一内川橋梁依り八百米強程東側、同じく中岡本の根川アンダア。 だつた筈だと思ふので、正直、横の河川名も橋梁名も見てゐ無いのでありますが、多分根川に根川橋梁と云ふ處だらうと思はれます。 多分。 此方は一見して普通の混凝土の橋臺、橋脚であります。 其は多分に、同樣の理由でだらうと思はれます。 |
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更に其處から三百米強程で此方、東岡本の東岡本アンダアであります。 因に、河川名は稻荷川。 橋梁名は稻荷川橋梁であります。 此方も桁は鬼怒川橋梁と同一でありました。 鐵道橋つて竣功當時からずうつと同じ物を使ひ續けてゐると云つた印象でありましたが、意外と更新されてゐるのだなと思つた次第であります。 さう考へますと、當時物として殘つてゐる橋梁つて成程、歴史的物件として人氣が有るのも納得だなと思つた次第であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |