2674年 11月 4日 探訪
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【其四】からの續きであります。 【現在地】 ぐるりと尾根を囘り込みます。 之でも意外と下の田圃とは高低差有りますかね。 因に、ガアドレイルは古三代目の型でありました。 と云ふ事は、昭和四七、八年~五十年頃に設置された物、と見て間違ひ無いと思はれます。 |
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未だ囘り込みます。 斯うして内側の斜面を見ましても、結構な尾根だなあと實感する次第であります。 |
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道路の勾配に關しましては、現道依りも此方、舊道側の方が緩いと思ひます。 併しさう、國土地理院の地圖で見ますに、此方左側の斜面の等高線の密度具合が、何かもうほぼ崖ぢや無いのかと云ふ位の急斜面に讀めるのであります。 |
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一旦下り切つた後に、少し登る樣であります。 でありますが、良い景色でありますねえ。 |
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うむ、石積が手荒く良い雰圍氣であります。 |
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先程の御屋敷も此方の斜面もさうなのでありますが、石積が手荒く綺麗でありました。 目地に混凝土も何も詰つてゐ無かつたのでありますが、其が又良い風情だなあと思ひました。 |
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間も無く現道と合流致します。 |
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現道との合流であります。 此方舊道が大體七百米程で稼ぐ標高を、現道は四百米程で進むのでありますから、人力や牛馬には舊道の方が優しい道だなと思ひます。 大體、此合流地點での開鑿したであらう法面の立上り具合がもうアレでありますよね。 因に、正面に縣道改良碑が在るのでありますが、昭和五五年度着工と書かれて居りましたので、此邊の現道が出來たのは其頃なのでありますね。 |
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【現在地】 扨、では 【此方】 の十番目の冩眞の地點に戻りまして、今度は舊々道に參りませう。 勿論、彼の見えてゐる砂利道がさうでありますよ。 |
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さう、此處を進みます。 |
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此處、法面が混凝土塊團で固められて居りますが、之は後年に成つてからでは無いかと思ひます。 其と、若かしますと舊道が出來る時に或る程度斜面を開鑿致しまして、其取附の爲に、舊々道部分の斜度も合はせたのでは無いでせうか。 何しろ、一旦輕く下つた後に此登りでありますので、之は些か不合理では無いかと思ふからであります。 さう、法面の塊團が途切れる邊で角度が違ふ樣にも見えますし。 其と、古地圖ではほぼ直線で描かれてゐる部分でありますし。 |
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右に分岐し、其方に進みます。 でありますが、草生し具合でもう結構アレでありますね。 |
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嗚呼、手荒く素晴しい景色であります。 之多分、白黒にしたら戰前の風景と云つても通じたかも知れません。 と云ひますか、最早街道筋では無く、單成る林道にしんか見え無いのが何共、實際。 して、直先で再び分岐致しますが、左手に進みます。 |
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はい、右の轍は畑に通ふ爲の道でありまして、向田線は此方、土手の上であります。 で以て、眞正面に進みます。 ええ、すつかり廢道でありますね。 |
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自轉車同伴で何處迄行けるでせうか。 出來ますれば、此處は自轉車同伴で拔け度いのであります。 然すれば、其後が樂でありますから。 |
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當然押歩きであります。 と云ひますか、之でも未だ道形が判るので助かります。 |
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して、時々状況が良く成るので、未だ自轉車連れて行けると思つて仕舞のであります。 【其六】に續く。 |