2674年 11月 4日 探訪
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【其九】からの續きであります。 【現在地】 では、舊々道へ參ります。 因に、前囘紹介しました此處から國道二九四號迄の區間は、明治卅九年の地圖では破線扱ひでありまして、主要道扱ひに成つて居りますのは昭和十五年の地圖からであります。 とまあ、さう云ふ譯で、明治時代の國道二九四號の前身に當る道との分岐點迄の道程を樂しむ事に致しませう。 併し嗚呼、石積と藏が素敵であります。 |
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今迄とは勾配が違ひます。 流石明治や其以前からの道と云ふ感じであります。 ええ、勿論輕トラの邊迄辿り着かずに歩いて居りますよ。 だつて今迄の道程で結構疲れて居りますし、歸りの體力も温存して措か無ければアレでありますもの。 して、多分當時からしますと、倍程の幅員に擴幅されてゐるのでは無いかなあと推察致します。 |
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勾配はきついけれど、素敵な道であります。 |
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否一寸、眞直登るのは勘辯して欲しいであります。 峠は未だなのでせうか、實際。 |
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登り辛いであります。 でも其以上に何て素敵な風景なのでせう。 |
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良いでありますよね、一定の弧を描く譯では無い曲線とか。 |
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併し思ふのでありますが、此向田線の舊々道、大八車引いてでは登るの手荒く辛かつたのでは無いでせうか。 斯う云ふ線形は大好きでありますがね。 |
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して、多分此處が一番きつい處かと思ひます。 之見て如何思はれますでせうか。 間違つても雪の日とか如何なのか想像し度く無いでありますよ。 因に、歩いて登るのも大變でありました。 |
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嗚呼、でももうそろそろ登り切りさうな雰圍氣に變はつて來ました。 |
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【現在地】 はあ、やつと登り切つた樣であります。 いやあ併し此處、正に日本的な景色其物と云ふ感じであります。 因に、此處は右折であります。 |
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如何やら右手の會社の關係か、線形改良されてゐる樣であります。 でありますが、一寸調べました處、手前右手の境界邊が元の線形の位置の樣であります。 |
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登り切つたと思つたのも束の間、直に下りに轉じます。 して、下る先、是は荒川とか江川の氾濫原でありますね。 と云ふ事で、舊道の線形に改修されたと云ふ事なのだと思はれます。 併し見るからに結構な年代物の右カアブ注意の標識であります。 |
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【現在地】 此處は左であります。 直進と云ふか、右に折つつ下りて行く道は、結構近年に成つてから(西暦1970年代後半から1980年代初頭頃迄)出來た道の樣であります。 多分、先程右手の會社が出來たのを切掛にでは無いでせうか。 |
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此又手荒く下ります。 折角稼いだ標高が全て水泡に歸して仕舞感じであります。 氾濫原だけに、とは云ひませんよ。呵呵 |
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何かもう、實際。 嗚呼、斯うして考へますと、明治時代に烏山から宇都宮へ行かうと致しますと、其はもう大變な道程だつたのだなあと實感致しました。 道は此處か烏山街道でありますものねえ。 |
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當時の雰圍氣を感じられる樣な幅員に成りましたが、もう終點であります。 |
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【現在地】 はい、此處で右手に折て行くのが國道二九四號の前身に當る道であります。 まあ、地圖を參考に道的に考へますと、明治卅九年の地圖の描方では、此方が主要と云ひますか直進でありまして、二九四の前身に當る道が分岐して、 茂木方面へと伸びてゐたと云ふ事の樣であります。 其は地圖で確認出來る舊道が出來てゐる昭和十五年でも同樣な感じでありますかね。 前囘での舊道と二九四號との交叉點も、良く云へば三叉状態、惡く云へば曲角の頂點で二九四が分岐と云ふ感じでありますから。 其は國道二九四號が制定された昭和四五年以降、昭和五十年の航空寫眞でも其名殘を感じさせる樣に見えますので、何と云ひますか、 道の變遷つて其時何が優先されるかで變化するのでせうから、本當に如何發展するか分ら無い物でありますね。 まあ不取敢、是で栃木縣道六四號宇都宮向田線の報告は終了であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |