2674年 3月 11日 9月 2日 2676年 8月 1日 探訪
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【其九】からの續きであります。 【現在地】 嗚呼、實際。 |
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ううむ。 さう、多分此笹竹の向ふに見えるのが路盤なのでは無いかなあと思ふのでありますが、はい、拙には無理。 此場は撤收致します。 |
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では現道側から何とか確認出來無いかなと思ひまして向つて來たのでありますが、多分、ガアドレイルの處に影が落ちてゐる邊、彼處等邊が合流地點の筈であります。 |
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でありますが、ねえ、もう見ただけで戰意喪失であります。 其とですね、現道からしますと結構な段差に成つてゐる樣でありますので、之は手強いだらうなと思ひ、多分辿れ無いだらうと諦た瞬間でもありました。 |
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丁度説明し易い寫眞を撮れてゐ無いのでありますが、之、ガアドレイルの外側、結構な急な高低差が在りさうなのが御分り戴けるでせうか。 丁度曲つてゐる邊が合流地點の筈なのでありますが。 實は之を纏るに當り航空寫眞を何枚か眺めたのでありますが、現道、同じ線形でも昭和五十年の寫眞では擴幅されて居りますので、 其頃に土盛もされて勾配的にも改修されてゐるのでは無いかなあ共思へ無くも無いのであります。 其以前でも、昭和廿四年迄は舊道も生きてゐた樣に見受られるのでありますが、昭和卅六年の寫眞では、既に草生してゐる樣にも見られまして、ううん、 其でも昭和五十年頃は未だ踏破出來たかも知れ無い樣にも見えました。 其が昭和五七年頃から怪dしく成り始めまして現在に至るのでせうが、さう、路盤が在つたであらう部分がごつそり消失してゐるのでは無いかなあと云ふ感じなのであります。 ぐうぐるの畫像を御借りしますと 【斯う云ふ感じ】なのでありますが、之つて既に窪地状態でありますよね。 途中の斜面に道らしい筋が見えますが、GHQの航空寫眞で判斷しますに、其處では無くて一段下に見える處を通つてゐる筈なのであります、多分。 が、此現状でありますから、消失してゐると判斷するしか無いと思ふ次第であります。 と云ふ事で、此處は踏破不可能と判斷致しました。 足元の地面が見え無いと云ふのは嫌でありますしね。 |
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一寸無念乍坂を下りまして、栃木縣道六一號線バイパスとの合流する此方が、今囘の終點であります。 |
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【現在地】 が、實は此處から左に分岐するのが元祖の道筋であります。 何か今では拂下されてゐる樣な氣がし無いでも無いでありますが、如何なのでせう。 |
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道筋としては殘つてゐる樣な雰圍氣でありますね。 |
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神社手前で右に折て居ります。 |
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さう致しますと、あらまあ、現道が進む方向と一致してゐるでは御坐いませんか。 斯う云ふ具合に線形改良されて來たのだなと納得であります。 して、此部分はもう、昭和廿二年の時點で途中の大川に架る橋は無く成つて居りますし、下つてからの線形も昭和十五年の地圖では現在の線形に變更されてゐる樣でありますので、 街道としては八十年近く機能してゐ無かつたと云ふ事に成ると思ひます。 完全に廢道と成りましてからは四十年位だと思ひますが。 其にしましても、現役も廢道部分も含め、今でも昔からの街道筋が殘つてゐる部分が多いのは嬉しい物でありました。 して、此先の續きは復の機會にでもと云ふ事で、是にて一旦終了であります。 以上、御附合有難う御坐いました。 |