2674年 3月 11日 探訪
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【現在地】 現在の柳田街道は宇都宮驛東口からほぼ曲る事無く柳田大橋を渡り、清原工業團地の入口である野高谷町交叉點迄のバイパス道を指して言つて居ります。 最近の地圖を見ますと鬼怒通り等と云ひ度い樣でありますが、其呼名が定着するには未だ未だ時間が掛る事でせう。 と云ひますか、不可能に近い樣な氣がするのでありますが、まあ良いや。呵呵 扨、其柳田街道とは宇都宮市内の栃木縣道六四號線を指してゐるのでありますが、GHQの航空寫眞を眺めて居りましたら、舊々道の存在に氣附ました。 其は明治時代の地圖でも確認出來ますので、間違ひ無く其以前からの街道筋だと思はれます。 さう成れば辿つて見ようと思ふのも當然でありまして、今囘の探訪と相成つた譯であります。 して、此方は元々踏切が在つた處であります。 でありますが、現在は歩行者、自轉車專用の地下通路に成つて居りまして通行不可能であります。 元々は驛南口方面からが街道の始まりなのでせうが、さう云ふ譯で面倒なので省略致しました。 と云ふ事で、東口、踏切を渡つた先からの探査と云ふ事で始め度いと思ひます。 因に此處、何か最近は宮みらい地區とか云ふらしいのでありますが、元々は操車場の部分。 だつたら國鐡當時と同じく川向町と呼ぶ方が"らしい"と思ひ、さう表記する事に致しました。 |
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して、進むべき方向を眺めます。 何か暫く來無い内に東口も手荒く變貌致しました。 拙が大好きな壽がきやが入つてゐた田原屋デパアトのビルヂング、今では病院に成つて居りましたし。 と云ひますか其建物が見えますね。 まあ、思ふ處多々在れど、先に進むと致しませう。 不取敢横斷歩道の在る處を折るのが舊々道。 其一つ先を折るのが舊道であります。 |
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舊々道と云ひましても、とつくの昔に區畫整理されて居りますので、國道四號の舊道迄は其面影もほぼ皆無なのでありますが、
まあ、出來るだけ"さうだつた"部分を通る事で、當時の雰圍氣が樂しめれば良いかなあと云ふ程度であります。 して、此處で其面影が在ると云へば、一戸建住宅が在ると云ふ事でせうか。 何故なら、昔の道筋の頃から續く舊家だと云ふ事でせうから。 多分。 |
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【現在地】 して、今囘は舊々道の一本北側、舊道側を國道四號迄行きませう。 舊道が何時頃出來たのか。 昭和廿三年の航空寫眞では未だ無く、昭和卅六年の航空寫眞では確認出來ますので、當り前でありますが其間に作られたと云ふ事でありますね。 ええ。 |
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升目にしか整理し無い現代では考へられ無い樣な線形に成りますが、之は舊々道の名殘でせうかね。 素敵であります。 |
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緩く續くS字カアブ。 |
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一見すると街道筋に見えません。 |
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路側帶表示の無い、昔乍の道路風景が良いでありますね。 速度表示が"40高中"でありましたら完璧でありましたのに。 |
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舊イトーヨーカドーの建物を右手に見つつ直進し、眞正面に見える森の處が國道四號舊道との交叉點であります。 【其二】に續く。 |