2673年 3月 12日 探訪
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今、拙の中では手荒く興味深い高根澤町。 GHQや西暦1960~1970年代の航空冩眞を眺めては、何處かに面白い道が無いか探してゐる時、ふと氣附いて仕舞つたのであります。 大好きな下坂の袂に廢道が在る、と。 此方、GHQが昭和廿四年に撮つた冩眞でありますが、冩眞中央部に線路側の道から國道四號の方への道が在るのが御分り戴けるだらうか。 勿論、昭和廿二の冩眞でも同樣に道が冩つてゐます。 此冩眞を見ると、下坂へ通ずる道の部分は架道橋に成つてゐる、若しくは成る豫定だつたと思はれるのであります。 ※國土地理院の畫像を拜借、加工致しました |
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處が、此方、昭和卅八年の冩眞では、既に道が無く成つてゐるのが御分かり戴けるだらうか。 昭和卅年の冩眞でもさうなのでありますが、下坂へ通ずる道から南側は既に築堤が無く田圃と成り、殘された線形の部分も草生し始まつてゐるのであります。 上の冩眞と同程度の大きさに擴大し度らぼやけて仕舞ひましたが、まあ、何と無く感じて戴き度いであります。 と云ふ事は、少無く見積つても廢道歴六十年以上と云ふ事であると思はれますし、若しかしますと未成道だつたと云ふ可能性も無きにしも非ずであります。 何れにしましても、まさか身近な所に斯樣な廢道が在つた何てと思ふとわくわく致します。 ※國土地理院の畫像を拜借、加工致しました |
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さうして、思ひ出したのであります。 去年(2672年 1月17日)訪れた時に何か道か鐵道の跡らしき物が在ると思ひ冩眞を撮つてゐた事を。 其が此方の冩眞なのでありますが、明かに何かの跡らしき築堤と、道路に對して不自然な立ち方をしてゐる電柱が氣に成つて撮つてゐた一枚でありました。 まあ、電柱に關しましては下坂への道が矢張線形改良されてゐたと云ふ事で一段落でありますが。 |
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【現在地】 と云ふ事で遣つて來ました。 件の築堤からの道は、多分此邊りに繋つてゐた筈であります。 だからと云ふ譯では御坐いませんが、何か眼前の道路の舖裝も不自然な繼接に成つてゐるのが意味深な樣な氣が致します。 |
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其謎の繼接部分の近く、矢張何故か不自然に路肩が混凝土で固められてゐます。 奧には田圃への出入口と思しき部分も在りますので、一體何の爲なのでせう。 側溝が在るにも關はらず、でありますからね。 |
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其反對側には何共古風な境界標が御坐います。 年代は不明なのでありますが、字體が何と無く戰前風な氣が致します。 まあ、附近の状態は此邊りにしまして、不取敢廢道の方へ向ひませう。 |
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【現在地】 扨、では愈々其廢道を歩つて辿つて見るとします。 と云ふ事で、下坂へ續く道との交叉部分であつたであらう場所へ來ました。 今では田圃に整地され、且つ其横へ用水が通つてゐますので、築堤は削られ此方の道とは分斷されて居ります。 でありますので、今と成つては道が在つたとはとても信じられ無い風景であります。 と云ひますか、何か古道の一里塚跡と云ふ感じにも見え無くも無い感じであります。 |
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此場所で普通車一臺分程度の幅は在ります。 整備されてゐたであらう戰中頃では一.五車線分は在つたのでせうか。 併し、見るからにアレなのでありますが、距離にして六百米程度の廢道、まさかずつと薮化してゐるのでせうか。 |
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不取敢、築堤の上から眺める國道四號方面への接續してゐたであらう方向であります。 電柱の位置で大體何の邊りだつたら御察し下さいませ。 と云ふか此道、寶積寺驛前の方から國道四號へ拔けるバイパスの豫定だつたのでせうか。 |
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【現在地】 最初藪だと思つてゐた部分は單成る段差と云ふだけで、上がつて見れば未だ平場でありました。 一寸一安心であります。 其に、間違ひ無く道だつたと云ふ感じで林の中に續いてゐます。 |
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して、薮であります。 でも誰かが通つた樣な跡に見え無くも無い場所が在りましたので、氣樂に進む事が出來ます。 |
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嗚呼、荒てゐると云へば荒てゐますが、まあ此な物でせう。 |
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でありますがほら、其處を拔けると斯う云ふ具合に素敵な道が現れたのであります。 現役時代はもつと廣かつたと十分に思へる道であります。 此處が今囘一番氣に入つてゐる場所であります。 |
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其少し先から下を見ますと、結構登つて來たのが分ります。 簡易的な橋を渡してゐると云ふ事は、山林の管理に訪れてゐると云ふ事でありますかね。 |
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良い雰圍氣の場所と思つたのも束の間、復藪化してゐる部分であります。 でもまあ、歩き辛いと云ふ程でも無いでありますが。 |
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と云ひますか此處、主要幹線國道四號から百米程度、東北本線からも僅かしか離れてゐ無い場所なのでありますが。 落ち葉が杉花粉で眞黄色なのが御分り戴けるだらうか。 でも拙は大丈夫、斯う云ふ場所では花粉症の症状は出無いのあります。 |
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わはは、枯れた竹が邪魔に感じますが、まあ、然程苦勞はし無いで大丈夫ありました。 |
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何處を通れば良いかとかを考へつつ歩くのも樂しい物であります。 |
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【現在地】(多分) 一應、人の手は入つてゐるのだとは思へる場所も在りました。 但し如何やら崩落箇所が在るからなのだらうな、と云ふ感じであります。 因に、中央に見えるのが其小さな崩落地點であります。 |
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不取敢路盤部分は全部持つて行かれてゐるであらう位の崩落では有るのでありますが、何の心配も無く通れて仕舞ひました。 因に、此處で唯一見た道路らしき證なのでありますが、何の境界標なのかは判別不能でありました。 |
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四邊を見る限り、何も書いて無い感じなのであります。 何でせう、崩落箇所の目印と云ふだけ、では無いとは思ふのでありますが。 併し凄い杉花粉であります。 黒い長靴が黄色つぽく成つて居ります。 |
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もう半分以上進んだ頃でせうか、右側が隨分と明く成つて來ましたのでも少しで合流地點だと思ふのでありますが、此處に來て道が一寸不鮮明に成つて來てゐます。 尤も、昭和四十年代頃には既に合流地點に建物が建ち、且つ311の時には可也崩落もしてゐますので、 其處が終點に成つて仕舞ふので或る程度不鮮明に成るのは仕方が無い事であるとは思ひます。 |
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其處から十米程度でせうか、不鮮明な道跡の薮を掻分け、崩落地點に到達致しました。 戰中でありましたら、眞正面に見える建物の右側に在る電柱の邊りに續いてゐた筈であります。 併し大規模な崩落を補修した跡でありますが、之が311の地震の影響であります。 |
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して、此處が合流地點だつた交叉點であります。 此交叉點自體も不自然に廣く成つてゐる部分等が在りますので、多分其處が舊線形で改修された痕跡なのだと思ひますが、 向つて左手、防火貯水槽が在る邊り、若しくは丁度交叉點の角に當る部分邊りに、今囘の道は合流してゐたであらう筈だと思ひます。 |
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まあ、何方にしましても、現在では私有地でありますので撮影は控へますが、肝心の道の方向を向て撮影して見ました。 斯うして見ますと、國道四號へのバイパスとして計畫された道だつたのかな共思へ無くも無い樣な氣も致します。 |
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今更乍でありますが、崩落さへ無ければもう少し辿れ、左手の建設會社の敷地に出てゐたのかも知れません。 と云ふか皆、崖の途中に平場の樣な場所が在るのが氣に成ら無いのだらうか。 |
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赤い紐の所が出て來た所であります。 不取敢、廢道歴六十年程度にしては先づ先づの状態でありましたし、距離にしても六百米程度でありましたので、手輕に歩くには丁度良い場所でありました。 唯、道の由來が一寸消化不良氣味でありましたので、近くで農作業をされてゐた地元の方(六十代と思しき人)に訊いて見たのでありますが、 何時廢止に成つたのか全く分から無いとの事でありました。 と云ふか、道が在つたと云ふのを知ら無かつたと云ふ感じでありましたが。 と云ふ事で、詳細不明の廢道の探査報告でありました。 以上、御附合有難う御坐いました。 |