2680年 4月 6日 探訪
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此方は
【藤原町藤原 鈴倉橋】
依り國道一二一號を二キロ程北上した處、野澤に架る橋であります。 ぱつと見には 【那須町高久乙-湯元 高雄橋】 に似た雰圍氣でありまして、國道一二一號の一連の橋とは少し雰圍氣が違ひますので年代的には少し新しいと思ふのでありますが、其實如何でせうか。 と云ふ事で、此方左岸側から見て行き度いと思ひます。 |
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野沢。 基本的に四分乃一の圓形をした意匠の親柱でありますが、三箇所に凹凸を設けた、中々に凝つた親柱であります。 と云ひますか、是又橋歴板が別な柱を立てゝ其方に附てゐると云ふのも斬新であります。 |
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昭和卅九年二月完成であります。 と云ふ事は、竣功は年度末の三月と云ふ事でせうか。 まあ、一連の物依りも五年から十年近く後の物でありますね。 恐く、交通量の増加に伴ひ線形改良されたと云ふ事なのでは無いかと推察致します。 |
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野沢橋。 此方の親柱は手荒く良い状態でありますね。 |
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成程、斯う云ふ案内を附てゐるのも斬新でありますね。 面白いのは、親柱の銘板とは材質が違ふ樣だと云ふ事であります。 多分でありますが、親柱の方は青銅だと思ふのでありますが、此方は多分鐵でありますよね。 |
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高欄は鐵管を三本使用しました、如何にも昭和廿年代末頃から卅年代末頃迄の意匠であります。 では右岸側へ移動致します。 |
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野沢。 此方で氣附ましたが、親柱一番上はちやんと笠石として見立てゝゐる樣でありまして、其部分だけ洗出仕上に成つて居ります。 矢張觀光地の橋と云ふ事で見榮を考へての事でせうか。 但し此方の別體の柱には何の案内も無いのが殘念であります。 |
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野沢橋。 流石に此年代、左右兩岸で對稱の銘板であります。 |
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成程、此處でほゞ鬼怒川、川治の中間地點だつたのでありますね。 |
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横から見ました處、之はI桁の鈑橋でありますかね。 面白いのは、線形は曲線にも關はらず、桁は直線の儘に曲線の牀版を載せてゐる處であります。 まあ多分、其爲の補強の爲に補剛が數箇所附てゐるのだと思ふのでありますが、結構凝つた構造だなと思ひました。 斯う云ふ事は、斯うしてじつくりと見無いと分ら無い事でありますものね。 以上、御附合有難う御坐いました。 |